雪解けの春
通勤で往復二時間以上立って歩くことは今の私の足では症状が悪化する為、医師より自宅での安静を勧められテレワークに切り替えました。二日間自宅に居て気づいたのは、会社に居ないことによる監視でした。管理という言葉で、何を予定し行ったのかを報告しても証跡を求められます。会社に居たら良くて自宅だと疑われるのかと頭ではわかっていましたが今回は辛かったです。足が腫れて痛む中で常に見えない監視の目と時間の拘束に管理されて、実績の証跡を残さなくてはいけない恐怖観念すら生まれます。先生の復活コンサートのピアノをお聴きしながら仕事を行いましたが、就業時間が終るとどっと疲れが出る二日間を経験しました。とにかく早く病気を治すことが先決です。毎朝、足の写真をスーパーアドバイザーに送り指示を受け実行しています。昨日は大事を取り、仙台での「出会いの一日」はライブ配信で参加いたしました。知らぬ間に溜まっていた黒い塊が、清らかな風と光に包まれ雪解けのように溶けていきました。何もない美しい世界は自由です。やっと息がつける心地よさに安堵しました。どれだけ普段の生活で縛られているかを実感します。先日、一つ一つと書込みをしながら出来ていないことに気がつきました。やっていることは無駄な欲張りでした。やっている内にあれもこれもと欲が出て、しかもまだ出来てもいないのにです。これではいつまで経っても出来やしないと唖然としました。頭の中の無駄な欲張りを捨てます。初めから完璧を目指そうとすること自体間違っており、そもそも完璧とは何かすらわかっていないのに愚かなことをしていました。正に、一つ一つです。今朝の明るい日差しの中で復活コンサートが鳴り響く空間は、昨夜の雪解けの春を感じます。何がこれから生まれ、芽を出し現るのでしょうか。今日は一ヶ月振りに母に会える面会の日です。歩けることに感謝いたします。ありがとうございます。