阪神淡路大震災29年 “際に立つ”
あの時、妙に高揚していたのを覚えている。大震災に遭い、その破壊力のすごさに驚き、命の危険に戦き、絶望と悲観の真っただ中にあったのだけれど、不思議と「生きる力」は、滾々と湧き出ていた。「終わった!」と思い、これからどうしたものかと途方に暮れながらも。そして、身寄りも親戚がいるわけでもないのに、生まれ故郷の東京に「帰る」ことばかりを考えていた。結局は、芦屋の地にとどまり、無茶苦茶に壊れてしまった塾と自宅の片づけをやりだしたのだった。国道の救急車両のサイレンの音と、避難民たちの足音を聞きながら。それでも気持ちは明るく、落ち込んではいなかった。「際に立つ」とは、こういうことなんだ、自分の真の能力と気力を発揮できる機会を得たのだと、好機に巡り合ったような気分でいた。勿論、犠牲者を悼み、悲痛な思いを共有しながらも。誤解を恐れずに言えば、なにがあっても生き延びるぞ、という気力があったことを忘れないでいる。
だから、驚いた。元旦に能登の地震にあって、塾生の双子の姉妹が、「正月気分なんかすっ飛んでしまって、ずっとオロオロしてます。」と言い、もう一人の男性が、「先生、大丈夫ですか?」と電話してきて、かれもまた恐怖の中にいたことに。塾生だけでなく、周囲の人たちも、マスコミも、被害の大きさに恐怖を募らせ、今日の神戸の震災追悼の行事を伝えながら、防災と支援を喚起している。それはもっともだと思いつつ、わたしには何か違和感があるのだ。
地震だけじゃない。異常気象や戦争や人口減少や格差社会……、「どうしよう、もうお先真っ暗!」。世の中悪くなるばかり、だれかが何とかしてくれないと、と頼ることばかりを考え、危険に近づこうとはしない。だから、「もう一つの道があるよ!」と呼びかけても、「全く新しい導きもあるよ!」と誘っても、頑として自分の価値観を変えようとしない。その生き方ではだめだよ、とは自分でも分かっていても、一歩踏み出せないでいる。学校で、高校生たちと話し合っていても、安全路線と効率思考が著しい。ただ、16歳のかれらには、「際に立つ」ことを辞さない、向こう見ずさと勇気がまだ枯渇していないことが分かって、何か楽しかった。教室の窓から見ると、寒さが緩んだ青空がとても明るかった。(1/17)