KEIKO KOMA Webサロン

遙か彼方


この度のコンサートも特別な事と感じ、東北の地に生きる方々にお越し頂きたく、何度もお便りをさせていただいてきました。今日の講演会では、私が何度もお伝えさせていただいたのでとおっしゃり、何人もの方々をお連れくださり、東北の方が多い講演会となり、とてもうれしくありがたいです。いだきで生きる人生を語れる人生に心より感謝し、盛岡のコンサートを開催させていただくこともありがたく、感謝にあふれ、コンサートの時を迎えました。今日も素敵なメッセージに心がときめきます。盛岡の地ならではのメッセージをお聞きできることも幸せを感じます。

「詩情豊かに」

「理性とか理屈で割り切れないことはどちらかというと人間性溢れているかも知れません。そうでありながら、しっかり理性、理屈などを必要な時にきちっと使えてこその人間性溢れるということです。特に盛岡に来ると、詩情溢れ詩情豊かさを感じ、ほっとします。人間から詩情をとったら、人間ではなくなるでしょう。日本のみならず、世界の最も中心的な詩情豊かな東北地方です。縄文時代、弥生時代前期ぐらいまでは詩情のみならず、あらゆることに豊かさを誇っていたのです。しかしながら古事記などに神話が編纂され、東北の本来の姿は問題にされませんでした。詩情豊かな東北の、特に岩手の神々は、あえて神々といいますが、どのようになってしまったのでしょう。盛岡の自然は詩情豊かに神々を伝えてくれます。」

詩情という言葉だけでも心ときめきます。詩情をピアノの表現にて経験できるとはなんて素敵なことでしょう。音と言葉がひとつになったようなピアノの音に心を感じ、心は神とつながり、どんどん美しくなっていきます。岩手県は、高校の修学旅行で来た時に、空の向こうの世界があることを感じ、「生きていく」と絶望の中で希望を見いだした忘れられない地です。人生に悩み苦しみ、死ぬことばかりを考え、十和田湖にての経験により、私は死ねない人間とわかり岩手県花巻にて空の向こうを感じ、生きて行くと決め、先生に出会えたと感じています。今日の先生の演奏からも空の向こうを感じ、果てない世界に心馳せました。果てない世界では神とひとつであります。どこまでも透明で澄んだピアノの音は、大地に宿る神、自然の生命に宿る神あらわる音と聞こえました。見える図形を言葉にあらわすなら、「秘してはたらく」となるのです。神はどんな時もはたらき続けてくださることに胸熱く感謝あふれました。が、秘してと感じるのは、見ているからと気づきました。対象化し見ている故に秘してとか隠されていると見えていたことに気づきます。神は人間が見ていてもいなくても常にはたらき続けてくださっています。それこそ空間すべてに神あらわれています。ピアノの音からは神様ばかりが見えました。大地にも木々にも山々にも光にも水にも全てに神が宿っています。人間の心が受け容れられるか否かで神と感じられたり、隠れているかのように見ることができなかったりであって、自然の生命は神とひとつとわかりました。どこに居ても神と共に在るなら、生きていけます。これからを生きることがとても力強く感じられます。

東北の地は神宿る神の国であったと見えます。神の国に生きる妃や姫はピンクの光に見えました。天と通じ生きていたことがわかります。神の国で生きる人間はとても豊かで幸せです。美しい自然の生命とひとつに生きる光景は銀河の流れのように見え、それこそ詩情あふれる光景です。神様ばかりの第一部は満天の星空を仰ぎ、空の向こうの果てない世界が心に見える経験でした。神の国の物語が生まれる演奏に心満たされました。

第2部「十三夜に到着しました」

「昨夜、宇宙に偏在している神々をお乗せして盛岡のステーションに戻ってきました。十三夜の夜ということでとても日和がいいです。先月は十五夜を東北で過ごし、満喫しました。どちらか一方しか観ないとすると片見月と呼び、縁起が悪いこととされています。十五夜、十三夜ともに経験できて幸運です。その時に宇宙の神々をお乗せして到着できたことは言葉に尽くせぬ豊かなちから、美しさを感じます。十五夜をお祝いする習慣は中国から入り、十三夜は日本からはじまりました。秋の実りを感謝するという意味が強いです。忘れられてしまったかにみえる東北の歴史以前の歴史、神々は宇宙からお連れした神々ととても親和性が高いです。ありがとうございます」

昨夜宇宙に偏在している神々をお乗せして到着されたのは先生のことかと感じ、先生がお越しになる時、銀河鉄道も到着することにロマンを感じます。先月は十五夜の日にコンサートを経験させていただき、今月は十三夜に宇宙の神々と地上の神々が盛岡に到着し今日のコンサートを迎えました。宇宙の神々と「忘れられてしまったかにみえる、東北の歴史以前の歴史、神々」はとても親和性が高いとの表現がそのまま見える神秘的な音に魅せられます。聴いたことのない音であり響きであります。神聖なる空間にて浮かび上がる苦しみに戸惑いました。本当はこの音を楽しみ、ずっと聴いていたいのに、内で葛藤する苦しみを感じ、焦りました。自分の内では整理したと思っていたことが吹き出てくるのです。気持ちが悪いことであっても、これ以上関わることも考えることも無駄であると考え、先を創ることで答えを見いだしていくとし整理したことでした。こんなに内に残っているならどうするかを考えましたが、答えはありませんでした。苦しいだけでした。苦しいことをそのまま認め、さらけ出しました。ある瞬間、ある音で突然遙か彼方へと引き上げられ、一気に飛翔しました。この世では矛盾していると感じていることも遙か彼方の世界では何もないのです。ここで生きる事が答えです。地上で紐解けなかった秘密が紐解けていくような感覚でした。こじれた糸がほどけていくようでした。神を中心とし、神の御膳を頂いていた光景が蘇ります。「神を忘れたか」とどこからともなく聞こえ、生命の深奥から目が覚める音が聞こえました。神を忘れた人間の苦しみを感じていたのだとわかりました。今も胸の内には宇宙の神々と東北の歴史以前の歴史、神々との親和性の高いとのメッセージと感じる音が鳴っています。神と共に生きていた遙か彼方の時が蘇る音です。遙か彼方の世界に一気に引き上げていただいた時、この音で引き上げられたと安堵し、生命救われた気持ちでした。マケドニアの遺跡に行った時、天に真っ直ぐにそそり立つ木を見、風が吹くと銀色に輝く木の葉を見、懐かしく涙こみ上げました。生まれた詩は「遙か彼方 呼ばれ 導かれ 出会い」です。今日も遙か彼方に引き上げられ、懐かしい気持ち溢れます。神の故郷にやっと戻ってこれたようで魂が安堵しました。ここを忘れたら生きていけないことを、ここを忘れたら人間ではないことを生命でわかりました。そのなつかしさは人間の感情とは違い、無限な世界に胸が通じていき、どんどん解放されていく懐かしさでした。遙か彼方の心地よい風が吹いています。なんとも心地よい、ひろい世界です。

遙か彼方で生きるはじまりです。ここで生きていかねば生きていけない生命であり人間です。私は人間になれるコンサートの機会をきちんと作ることに全力で取り組んでいくことを改めて心にしました。最もやりがいがあり、人間としこれ以上の喜び、幸せはありません。コンサートに向かうプロセスも当日も隙なくきちんとすることに尽くします。ありがとうございます。

今日もコンサートが終わり、家に帰りしばらくすると、大地から突然ゴーッというすさまじい音が聞こえ、外へ出ました。地震が来たことをニュースで知りました。神とひとつ、自然の生命とひとつに生きる人間の本性を取り戻す時です。ありがとうございます。

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比叡山にて
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NPO高麗 東北センターにて
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三鷹市芸術文化センター 風のホールにて-2