過去を繰り返さない生命のイノベーション
アントレプレヌールサロンに参加させて戴き、一度大津に帰り、再び府中の森芸術劇場での先生のコンサートに参加させて戴きました。アントレプレヌールサロン前のボランティアミーティングに参加させて戴き、今の自分は何か動きがないと感じていて「反応を伺っている」状態という高麗さんのお話をお聞きしてドキッとするものがありました。高麗屋さんで出店している時に出会った方が、京都事務所での高麗さんの講演会に参加されました。その方がコンサートにつながってくれたらという意識満々で、その方の反応が気になり最初の方では高麗さんのお話に集中できずにいました。その状態は講演者である高麗さんの邪魔をしていることに気づくと、お話に一気に入り込んでいきました。その結果、講演会終了後は、すんなりとコンサートにお越しになることになりました。飛び込みや高麗屋出店中にお客様と接する時に、中心に向かわず周りをぐるぐるしている説明言語になってしまう状態は、相手の様子を伺いながら話しているからと、ミーティングでの高麗さんのお話からよくわかりました。相手といのちひとつとなる経験があるときは、すんなりとコーヒーや本やチケットが売れます。他者と交流できないのは対象化する意識であることが何度もお聞きしても、なかなか抜け切れない壁です。オンラインライブ配信で参加させて戴きました三鷹の応用コースで、「標準化」ということをお聞きして、生命にそれほど害を及ぼしていることの認識がないことに気づき、標準化という無言の圧力の中にいると、対象化し人と交わらず、本当の自分の気持ちすらわからず、知らない内に自分を疎外し感性は麻痺してしまうのかと恐ろしくなりました。全ての解決は、いだきしん先生のコンサートに参加することだ、と東京に夜行バスで向かいました。今回は、以前の職場関係の方がコンサートに参加することになり、食事をして一緒に行くことになりました。待ち合わせ場所に着くとまだ少し時間があったので、どこかで時間を潰そうと思い、見回すと「平和祈念展示資料館」という表示が目に留まりました。会場に入ると、戦争は軍人だけが戦うのではなく、家族が戦争に行くのだと突きつけられる生々しい資料が展示されていました。高麗さんもビデオ講演会でお話されていましたが、まさに戦争は自分の親の時代に実際にあったことなのでした。父親や兄弟が戦地に行き、戦争に負けて強制抑留、引き揚げと武力行使する戦争は終わっても、戦争は終わらないことを痛感します。資料を見ている内に、意図せずに涙が止めどなく流れ落ちるのです。魂だっと気づいたときに号泣しそうになるのを堪え、先生のコンサートに一緒に行きましょうと、心で言ってました。一見すると当然、国対国の争いが戦争ということなのでしょうが、本当は何故、この様なことが起こるのか、真を見抜く感性が必要であり、真を見抜くには「標準化」の中にいたのでは、とても見抜くことはできないと、府中のコンサートを経験した後ですのでわかります。コンサートでは、この世のあらゆることから抜け出す経験と、様子を伺うのではなく、相手の中に入りひとつになって本質を表現するチケット販売という行為による経験とが、真の自分を表し生きることとはっきりとわかりました。参加された知り合いは、コンサート終了後、「このままじゃ、本当に何のために生まれたかわからない。」と言っていました。その方にとっても、自分にとっても新しい人生のスタートになったコンサートの経験です。アリラン的なメロディが流れると、ここは武蔵國の国府の地、高麗さんのご先祖様の高麗福信様が国司をされていた地であると感じ、近江国の国司も務められたとお聞きし、魂のご縁あり、高麗恵子代表に出会い、良い国をつくろうと心する民が高麗恵子代表に出会える様に道をつくることが使命であることを改めて示されたコンサートでありました。
ありがとうございます。