KEIKO KOMA Webサロン

連続から聖なる継続へ


20日の府中でのコンサートでは、「聞こう」としている自分に違和感をおぼえました。「自分が」聞こうとしていて、そこから何かを得ようとして全身に力が入っていて、その状態に不快感をおぼえました。自分が主語になっていて、そうやっていつも自分が自分が・・と、主張して周りをはじきながら生きている状態が表面に浮き上がってきました。こんなものはもう要らない、無くなってしまえ!と思いながら、ただひたすらその場に居させて頂く、ということに集中しました。そうすると先生の音が全身に入ってきて、自分という枠も無くなり、皆で一つに空間に溶け込み一気に上昇し広がっていくのが分かりました。自分の日頃の生き方を見せられ、それを自覚すると、そこから抜け出て飛翔し、新しく生き始めている自分にまで引き上げて頂きました。

「自分が」何かを得て成長したい、という意識は、私の場合は、自分だけが良い思いをしたい、得をしたい、と思っていることです。とても自分本位であり、そのことで周囲の人達を傷つけたり不愉快にしたりしても、自分は一所懸命生きているつもり、何も悪いことはしていないつもりなので、その自分勝手さにも気づくことがありません。そしてこれでいいと思って平気で生きています。おそろしいことです。盛岡でのコンサートメッセージにありました「生命はつくれません」というお言葉は、自分が自分が・・で生きていては、分かるはずはありません。「自分が」生きていると思っているからです。

コンサート会場以外の所でも、20日は、自分さえ良ければいいという思いが様々な場面で露呈して、嫌と言うほど見せつけられた日となりました。コンサートが素晴らしかった、素晴らしい経験をした・・という感動よりも、自分の日頃の実態を見せつけられた苦さのほうが濃くあります。でも、これは尊い経験を頂いたのだと今、受け止めることが出来ました。

苦さのままに落ち込み、反省のループに入って、自己嫌悪に陥り、元気が無くなり、生き方も小さくなっていく・・。これは今までの自分のパターンでした。パターンでぐるぐる回るのは、まさに「連続」です。コンサートのメッセージにありました、「聖なる継続」と、「「継続」を突然断ち切る内面に巣食う死に誘う力」、というお言葉が心にあります。私にとっては、自分さえ良ければ良いという思いと、それが露呈した後の反省と自己嫌悪のループこそが、まさに継続を突然断ち切る内面に巣くう死に誘う力だと分かったのです。
そして、コンサートで自覚した自分の実態が本当に心の底から嫌だ!と叫んだからこそ、「連続」」のループが断ち切れ、その苦しみは転換して、飛躍していくエネルギーとなったのです。死に誘われる生き方から弾き出て、大いなる存在と一つに、皆と共に一つである世界で生きて行く、否、生き始める、強い躍進力となったのです。
どのような時も、いかなることがあっても、大いなる存在に自らを委ね、心を合わせ一つで生き始めるからこそ「継続」していけます。
こうしてコンサートを何度も経験出来て、生まれ変わるチャンスを沢山頂き、このような自分でもこうして生かして頂いていることに感謝いたします。

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