迎賓館コンサート
本日、特別な場所である迎賓館にお招きいただき心よりありがとうございました。高麗さんのつくられた先生のための素晴らしい空間で他の会場では聴くことのできない音を経験させていただき感無量です。正直なところ迎賓館のピアノの音はこれまで辛くなることが多く、今日ほど全ての一音一音が愛おしいほどに美しく感じたことはありませんでした。迎賓館という純度の高い極められた空間の中では、私の不浄さは火に炙られているごとくに炙り出され辛いと感じる方が多かったのです。今日は音に反応する生命が今までとまるで違う生命になっていることを確認することができました。ペダルを踏まずに鳴る音のピンと響く音が爽快で子供の時のような無邪気さが内面に生まれ愉しくて仕方ありませんでした。しかしひとつだけ自分にはまだ身体に悪い部分があることもはっきりと自覚しました。普段は鈍くさせ生活には支障にないように生きていますが、子宮にまだ解決できていない問題が残っていました。音がお腹の底、子宮に届く時痛み出します。男性たちのこの社会で受けた抑圧、ストレスを私の子宮で吸収し、私は男性たちのストレスの吐口として自分の身体を使ったことを認めました。読んで心地の良いものではないことは承知しますが、事実として本当のことを自分自身が認めない限り先へは進んでいけないことを考え表現させていただきます。痛む子宮をじっと感じていた時、奥から「母」と生まれ一雫の涙が流れました。どういう意味なのかわかりませんでしたが、奥から大きく包まれていく優しい温もりがありました。
中間の先生のお話は聞き方によっては厳しくも感じ、しかしそれ以上により良い人間の時代へと向かっている希望に喜びあふれていました。どのようにして言葉を磨いていくのか、紡いでいくのか、作家さんの取組んでおられる具体的な方法まで教えていただき、感謝いたします。以前応用コースで先生に言霊のことを質問させていただき、そして頂いたご指摘により、自分の偉そうな意識先行型の頭と言語が崩れました。それ以来、読めなかった小説が美しいと感じ読めるようになり始め、曖昧な言葉はすぐに調べる習慣がつき始め、この書き込みをさせていただく際も何度も辞書を引くようになりました。自分の言語によって理解の限度や読めるものの限度も決まっていることを知り驚きました。学び始めたばかりで拙さを自覚しながらも、学び成長していける機会があることに愉しさを感じています。「、」のうち方、文のつなぎ方まで含め、同じパターンの表現をどのようにして新しい経験を表現する新たな言葉に変えていけるかは、良い小説や古典などを読むことも必要だと自ら感じられるようになりました。作家の方の中には言葉を表現し続けるために、一度自分の言葉を解体するという作業を行なっている方がいることや、言葉を探す努力をされていることなどをお聞きするにつけ、これまでの自分の浅はかさや粗雑さを恥ずかしいと感じます。言葉を表現するこの大事さや、国学など日本語については何も学ばずに、幼児の頃から英語に触れ、小学校2年生から英語を勉強し、文法といえば英文法より知らない頭で、英語風に日本語を使ってきたことに大きな落とし穴があったことを今は理解できます。さらに、先生はコンサートがない時も絶えず新しくなるために、また新たな表現を見つけるために、やりたいことはすぐにやり、行きたいところに行き、読みたい本を読み、そのように生きて私たちのために働いてくださっていることをお聞きし胸がいっぱいになりました。先生がそのように生きておられるのに、私たちがただ同じことを繰り返し、落ちていき、しまいには人のせいにしている状態などあってはならないと感じます。6月の連日のコンサートで鍛えられ、短時間で仕事をこなすことも覚えました。以前のやり方では到底毎日コンサートの会場に身を運ぶなど無理な状態でしたが、実際には必要なことだけをやり、無駄なことは辞め、短時間でやり切っていくやり方を覚えることができました。この経験は7月以降も活き、余力となった時間でさらに学ぶこと、行きたいところへ出向くことなど新しいことを始め、自分で自分を変える努力を続けていけると嬉しく感じます。どのように生きているか、生きていこうとしているかが全て自分に還る時代となり、答えは自分がどのように生きていくかよりないことに行き着きました。
後半の演奏はただ涙が溢れ感動し何がそんなに感動的なのか自分でもわからず戸惑っていました。みなの生命がひとつとなり共鳴し合っていることや優しいことなど、それ以上うまく表現できない何かがあり胸が震え続けていました。そんな中、やりたいことが次々と源泉から水が湧くように湧き出ていました。やってみたいことはたくさんあります。この泉が湧き出る元こそ愛の働きと理解します。
素晴らしい経験を心よりありがとうございます。