KEIKO KOMA Webサロン

身体、命、魂


ある自分と年のそう変わらない死刑囚のことが悲しくて仕方なくて苦しく、自分と何かとほとんど変わりない人と感じるのに、大事件を現実の中で起こしたために、死刑囚になるか、壁の外で自由に暮らせるか、分かれて13年。何か良い偶然が味方すれば起こさなくても済んだかもしれない、まるで悪魔がしたお膳立てに導かれるような行動。その違いだけで大きく道が分かれるなんて。被害者の方々のご冥福を改めてお祈りするとともに、アナウンスから涙がボロボロ流れて自分でも制御できず・・・。自己疎外に陥り他人を傷付ける他者からは、もちろん傷つけられないように自分や周囲を守らなければいけませんが、実際に犯人らの顔を見ると、自分となんら変わらないと感じてしまう瞳に涙することも多く、ぜんぜん自分とは違うタイプと感じる犯人ももちろん多くいますが(小さいアニマルをいじめるのがもともと好きとか、そういう人はけっこう自分とは違うので、その嗜好に至った経緯などを読んで知ったりすることなしには理解が難しいのですが)、本当に自分と何ら変わらない、自己疎外で苦しくて、攻撃性が内側にも外側にも向く気持ちはとても良くわかり、理解を深めようと身を乗り出さずともおのずと共感することろがあります。鬱についての本などは、最近流行りのスピリチュアル的だったり、やたらと文字が大きく馬鹿にしているのかなぁ、と思わずにはいられない本屋さんで平積みのものよりも、あまりエンターテイメントや「わかりやすすぎるタイトル」に走らない昔からいらっしゃる先生の書かれたもののほうが的を得ていると個人的には感じます。ロシヤ文学の翻訳などは、最近良いものが出ているといだきしん先生が仰っていましたが、ケースワークやカウンセリング関係の本は60年~90年くらいの本か、その頃からご活躍の先生が書かれた本が、対処療法や目先のわかりやすさだけに走っていなくて私にはためになりました。売れにくいのかもしれませんが、売ることだけを考えて数年後にはゴミになるような本よりも、本当に人間のことを考えて執筆して下さったのだろうと感じられる本にはそれなりのページ数によるものとは限らない厚みがあります。その死刑囚は東京拘置所にいて、してしまった罪は被害者の方の悲しみや怒りとともに許されないことではありますが、命を絶って解決することなのでしょうか。同じことが繰り返されないように、振り返り執筆した本も残しています。死刑は確定しているようですが、身体は壁の向こうにいても、いのちで先生と繋がることは出来るのでしょうか。どうか繋がりますようにとコンサート中涙が止まらないのでした。

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