身の内から溢れ出る喜び
本日の仙台コンサート開催を真にありがとうございます。
会場の席に座った途端に、身の内から幸せな感覚が涙となって溢れてまいりました。
高麗さんにお会いできた幸せ、いだきしん先生にお会いできた幸せが、みぞおちのあたりから震えとなって溢れてまいりました。
第一部「広瀬川」のメッセージを拝聴してまた涙が溢れました。
広瀬川は、今の季節は白鳥が飛来しますが、かもめもカラスも雀も水鳥もトンビも鳩も憩う川です。
遠景に雪で白い泉ヶ岳と街のビル、上に広がる青空の下をキラキラ流れる広瀬川も清々しく美しいのですが、夕暮れ時、真っ赤な夕焼け色に染まる水面に、橋の灯が映る様子も幻想的です。
いだきしん先生の、人生を決める出会いの場であったことを伺えて、嬉しくて泣きました。
第一部の演奏では、私の身の内に宿る、「生きる喜び」を発し続け、私を生きるほうへ向かわせてくれている存在に気づきました。朝の冷たい空気が全て痛みになり、起き上がるのが辛くて辛くてたまらない時、布団をたたむ動き一つが痛くて泣き崩れる時、痛い奥で「生きていて嬉しい」と叫んでいる気持ちがあり、少しずつ動けます。体調が激変し、病気を生きることが主になった毎日を、それでも前向きに生きてこられたのは、私の性格かとも思っていたのですが、身の内の「生きる喜び」を発する存在の助けがあったからと、コンサート中に気づきました。
また、第二部の演奏では、やはり命を支えてくれた「太白山」と思われる存在と出会え、直接感謝を伝えることができました。
そしてこのコンサートでも、先生はピアノでお話してくださっているのだと意識して耳を澄ませました。生命全部に音は響いてくれました。生命の枠のようにして、身体を固めていると感じられる「骨格」に作用して、枠が外れるように骨が緩むのを感じました。
生命にただ優しく、抱かれる安堵感に身をゆだねられる場があり、幸せです。
明日は(日付が変わり今日ですが)久しぶりに東北センターでの応用コースに参加させていただきます。
明日に向けて、「フロー」の本やカントの伝記、「純粋理性批判」の解読書などを読みました。公立学校で教科化された「道徳」が気になっていて、何とかそれを自分の言葉で表現したいのですが、いざ本番になってみたら、全く違うことを考えているのかもしれません。
どうぞよろしくお願いいたします。
高橋 由珠