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講座を前に


ある受験参考書に、「弁証法」の例文として、つぎのようなのがあった。

  ①人間はいつか死ぬ。

  ②生まれてこなければ死などはない。

  ③つまり人間は死を負って生き、死は必然的に生に含まれて  

   いるのだ。

間違っているとは思わないが、③が感心しない。 何か足し算的で、抽象化がうまくないように思う。 それで新しい見地に到達できていないように思う。

よく考えれば、②も「反措定」としてよくないのでは? こうしたらどうだろう。 ②‘しかし、生がなければ死はない。 そうすれば、③’は、「つまり、生と死は同じ問題なのだ。」になるか。 要するに、ちゃんと反対意見を持たないと、先が見えてこないということだろうか。 みんなならどうするだろうか。

「応用講座」と「存在論」を前に、こんなことを考えているのも、いまのモヤモヤを払しょくし、意欲をもって、前進していきたいからである。 猖獗を極めるコロナ禍、酷暑や大雨のひどさ(環境破壊の増大)、アンチ民主主義の台頭、そして、「能力主義」の蔓延と、デジタル社会への(自分自身の)立ち遅れ、さらには、わが身の衰退、体調の不安と無能さ、なにから質問させてもらえれば、少しは霧が晴れるか、それすら見えないでいるからだ。 講座やコンサートが「根源解決の道」であり、人間疎外からの脱出法であることを疑わないが、そのことを「弁証法」的に分かりたいのだ。 (2021.8.22.)

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