“誉め言葉”
わたしは、常日頃から宮崎先生に「美」を感じています。
まず、第一に教育面では、ホワイトボードに書いてくれることや、配布されるプリントから、先生の国語に対する情熱に、「美」を感じます。そして、服装の面で、ブレザー姿がお似合いで、被っている帽子からも、「美」を感じ、マイケル・ジャクソンを思い出したりします。 (H3-10 R・K)
期末考査に、高階秀爾の「日本人の美意識」という評論文を出題したので、その最後に、「あなたが美を感じるもの、という題で、文章を綴りなさい。」という設問を付けた。(わたしは、国語の試験では、必ず文章を記述させることにしている。)Kくんは、あまり勉強する方ではなく、成績もよくないが、おとなしくて目立たない生徒である。で、“ゴマスリ”半分かとも思うが、かれがふざけているとも思えない。理系のクラスなので、ほかの生徒は、「化学反応」や「対象」に「美」を感じ、「優しさ」や「自然」を美しいと捉え、あるいは、スポーツ選手の美技や、モン・サン・ミシェルの建築美について、記述するものが多く、それなりにテーマが逸脱していないのだ。だからこそ、Kくんだけが特別ではなく、素直に感じていることを記述したのだろうと受け取っている。
林竹二先生の『教えるということ』も、生徒の書いた感想を正面から受け止め、授業における、子どもたちとの出会い、子どもたちの感受性と、深いところでの心を読み取り、その可能性を大切にすることを論じておられる。わたしの授業を誇りたいからでなく、わたしの授業、平生の態度を、ちゃんと受け止めてくれているKくんに礼を言いたいくらいなのだ。残念ながら、高三の授業は終わってしまった(高三は三学期の授業がない)ので、もうKくんに会うこともないかも。
字が下手で、板書が苦手なのに、ついつい書いてしまう。「もう少し丁寧に書いてください。」という声もショッチュウ。で、プリントだけは、なんとか分かりやすいように用意していく。服装は、爺臭くならないように、またフォーマル一辺倒にならないように心掛けている。生徒たちは、それを「カワイイ!」とはやすのだが、『枕草子』の「うつくしきもの」と同義ととらえている。だから、Kくんも、その流れにいるのだろう。わたしの備忘録まで。
冬至の日の今日、これから日が長く明るくなっていくことを思いながら……。
2023.12.22.