詩:雲の峰
雲の峰
朝、六甲の山並みの上に、大きな山が出現している!
標高1500mほどの峰に、朝日が輝いて何とも美しい
そんなはずはないと思うも、稜線もくっきり見える
もちろん、雲の峰で、幻想でしかないのだが
こんな日は、何か良いことがあるはずだ!
ここ二三日、心が軽い! 「闇」は過ぎ去ったのかも
心配や不安の向こうに、突き進んで、強い自分をとりもどす
できることを懸命にやっているのだから、それでいいのだ!
もちろん、勝手な思い込み、想念のズレでしかないかも
こんな日は、ちょっとした行動や人の声が好機になるのだ
精一杯働き、行動し、人と交わり、今を生きている!
学校の授業の他に、サロンや講座、そして日記や手紙や通信
年甲斐もなく、年齢や体力も気にせず、あるいは軽率ぐらいに
もちろん、血圧も高く、疲労感もひどいのだけれども
こんな日は、よく死ぬために生きている実感が沸きあがる
【補足10.19】
幸せの定義も分からないまま、「幸せ」を追い求めて苦しんでいる
ポジティブシンキングの罠にはまって、「他人の夢」を追いかけてばかりいる
あまるにも「答え合わせ教育」にはまりすぎて、真の自分を見失ってばかりいる
こんな主張を繰り返す長倉顕太の本#を読んで、また頭が柔らかくなった。
運命とか悪霊とかに振り回されているというのも、精神の怠慢かもしれない
勧善懲悪のストーリーに酔いすぎるのも、現実逃避でしかないのかもしれない
金がなければ生きていけないというのも、思考停止の結果かもしれない
#『なぜ自己啓発本を読んでも成功しないのか?』(光文社文庫