詩:民謡研究家
民謡研究家
秋田の知人から、秋田音頭と西馬音内盆踊りの論考が届いた
流麗優雅な盆踊りのなかで歌われるラップのような音頭の不思議な組み合わせ
この地の即興の掛け合いを長年研究してきたわたしの心をくすぐる本なのだ
西馬音内の盆踊りは、音頭のほかに甚句もあり、それは「かけ唄」につながるから
角間川、院内、増田、論考に取り上げられている県南の地名が、わたしの時間を蘇らせる
1970年から秋田通いが始まり、古代の歌垣を彷彿させる「掛唄」に魅せられ続ける
そこには唄と言葉の「もう一つの基準」ともいうべきサブカルチャーが根付いていたから
成長し続ける資本主義社会とは別の、円満な「コモン」が明るく息づいていたから
解放的な性と収穫の喜び、集い歌うことの楽しさ、そして反権威主義の逞しささえあった
それを懐旧の念と観光への思いでのみ捉えず、論考や随筆でもなく新しく語りたかったのだ
1955年ころから、わたしは山を歩き始め、67年から国語教師をしている
そう、わたしは教師であり、登山家であり、詩人・執筆家・シンガーでもあるのだ
こういうことは「かたはらいたきこと」(聞き苦しい?)と清少納言なら言うだろうけれど
自慢じゃなく自覚であり、これからももっともっと取り組み、活躍するためにあえて言う
そして、民謡研究家でもあることに、贈られた本で、思い知ったのだ。感謝感激
甚句にせよ、音頭にせよ、はたまた「掛唄」にせよ
遊郭文化や性習俗の文脈の中でとらえるべきと思う。
そして、「種」がどこから来たより、「花」がどん
なに美しいかを、新鮮な言葉で語りたいものだ。