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詩:六甲山系高雄山行


(一昨日、ひと月ぶりに山歩きをして、元気を回復しました。コロナ禍の中、先が見えない昨今ですが、乗り越えていけそうでっす。)

六甲・高雄山行

 

六甲山系には群山があり、市ケ原から急登して高雄山(476ⅿ)に至る。

全山縦走路から少し離れていることもあって、あまり訪れる人もない。

残暑厳しい日曜の午後、日射病を懸念しながらも、思い立って出かける。

長雨とコロナ禍で、もう一月以上、歩いていないことが、罪のように思われ、

呪いのような「老衰」という言葉をなんとか払い、命の「全し」を保ちたかった。

 

もう秋風に吹かれて、すでに栗の毬が落ちている山道を行けば、

アリバイ作りのような心が、次第に自発的な意欲に少しずつ変容する。

腰も軽く膝も痛まず、足が本来の歩度に近づいていくのを感じる。

これからあの急坂を? そう言われると一層、体が元気になってくる。

未踏の急坂も、分りにくい藪漕ぎも、四等三角点のピークに到着する。

 

ゆっくり再度公園まで下ると、もう最後のバスは出てしまっていた。

そうであればやむなし、歩いて街へ戻るまで。その心の余裕が頼もしい。

路傍に葛の花の青く咲くのを見つけ、釈超空の孤独な旅を思う。

この道を行きし人あり、そう一人静かに歩けば、命に響く「節」がある。

暗くなって白亜の布引の滝を眺めれば、業平以来の文人の心もわが胸に。

 

帰途、街に至り、二宮温泉に寄り、8月最後の日曜日を締めくくる。

朝の倦怠感と無気力が静かに消えているのを、奇妙にも思いつつ喜ぶ。

自分の「疚しさ」や「弱さ」を少し乗り越えたようなうれしさをかみしめる。

いや、あまりに生真面目に眦を決することもあるまい、絶望も不要なのだ。

樹下に碧空を見上げ、急坂を喘ぎつつ行けば、物理的に健全さが保たれる。

 

 

 

 

※結局、午後1時半から6時半までの5時間の山歩きでした。
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