詩:ヒロシマとわたし
広島被爆76年、今日は「核兵器禁条約」での平和祈念式典あり
わたしが一歳4か月のときのことで、そのときは東京にいたと思う
実父は、軍人として広島にいて、爆心地近くの市電の中で被爆したとか
しかし、物心付いたわたしには、二階の居候のような「兄」だった
夏になると、醜いケロイドが顔に目立ち、だれもが正視を避けていた
そう、その人を含む家庭の複雑な事情と原爆とがずっとそばにあった
結局、実父は、「原爆手帳」を持ったまま癌を患い30年前に死去
そして、わがままな実母も癌の転移に苦しみながら死んでいった
その娘を溺愛した「父」は、わたしが中2のとき、心筋梗塞で急逝
無理な家族はすぐに崩壊し、わたしは「老母」を抱え生き延びる
たった一人の実妹も、阪神淡路大震災以来、消息不明になってしまった
暗い家族の歴史には、いつも「黒い雨」が降っていたようにも見える
たしか中学のとき、なぜか実父と二人で広島へ、宮島岩国まで行った
原爆ドームが異様だった以上に、錦帯橋で実父に言われ食べたナマコの味!
大学生になり、井伏鱒二の『黒い雨』を読み、放射能の怖さを知る
教員になり、関電の原子力発電所のある高浜に臨海学校に行くのを反対した
それから、平和運動に参加し、原爆ドームでビラを撒いて、逃げたりした
平成になって、いだきしん先生の広島コンサートに参加し、やっと正対する
チェルノブイリ、スリーマイル、そして福島第二原発、続く大事故
さらに世界中の原子力発電所の汚染物質が処理できずに何やら怪しい
今の東京オリンピックのように、どう見ても無理なことが押し通される
響かない言葉と資本主義の論理ばかりが表面に出て、「黒い雨」はやまない
その上「コロナ禍」、感染爆発――もうかつての「平和行進」もできそうもない
ただ、コンサート後、広島の街路樹に新芽が出たとか、またやり直せるだろう