詩:もちまえ
もちまえ
「もともと持っている技能・性質」(『角川・国語辞典』)
なんと荘子が「もちまえ」の大切さを論じていることを、先日、初めて教えてもらった
無用の用や胡蝶の夢で無為の道を説く思想家、儒教と対立する道教の先人と知っていたが
無為であってこそ、人は自然の生命(もちまえ)のあるがままに休んじて生きられるとは!
汲汲と追い込まれた思念の中にいたわたしは、目の前がふっと明るくなった気がしたのだ
しかも、今やわたしたちは、荘子の「もちまえ」からほど遠い状態にいると、その人は言う
運命と知識に翻弄され、閉塞状況の中で、窒息しそうになっているから、命が輝かないと
しかし、今や本来の「もちまえ」を取り戻すときがきているし、取り戻さねばならないのだ
わたしは、急いで図書室に行き、本屋に走って、「荘子」の”にわか勉強”をするのだった
「故(生まれつき)に始まり、性(無意識の持ち前)に長じ、命(全体・秘訣)になる」と知る
無数の習慣が個性を形成し、かえってそれが危険なスパイラルに。時には修正が必要だ
「游」とは「神と人とが一体になった境地」(白川静)とのこととも分かって心が伸びる
不勉強なくせに真面目なわたしは、「そんなことわからない考えだ!」と言おうするが…
いったいわたしの「もちまえ」って何だろう?「自分の長所」ともちょっと違うだろう?
一見弱々しいがしなやかな体質、人懐っこい心性と憧れにも似た遠い希望、自由・自立志向
いやいやそんな自己欺瞞では何もわかってないと同じかも そもそも口にできることか
ただ繰り返すが、気持ちがふっと軽くなり、「人為」に傾きかけた意志を解放できたのだ