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詩:「表現の集い」異論


(高麗先生の書き込みを読んでいて…)

一昨日の朝、「ドキュメント72時間」で、貸スタジオの実態を報じていた
プロの卵たちが練習に来る以外に、さまざまな人々の集いの場でもあった
昔の仲間や同窓生たちが楽器を持ち寄り、お酒も飲みかわし、楽しそうだった単なる趣味の交換以上の意味を人生の意義にまで高めているようで微笑ましかった
その技量も、歌われる言葉も、その会話も、洗練されていて、感心させられるのだった
でも、悪く言いたくはないが、わたしの考えている「表現の集い」と少し違うのだ

 

環境問題や人口問題、格差社会と少子高齢化の世の中で、まるで未来が見通せず
わたしも含めて、多くの人が疎外され、人間味を失い、生きざるを得なくなっている
沖縄の問題はいつまで経っても日本の問題にならず、貧困は自己責任だと言われてしまう
昔の成功体験を忘れられず、ギャンブルでもセックスでも、何でも構わないのだ
自分だけの人生を考え、利己的に生きることは、もう許されないのではなかろうか
これまでの慣習から脱し、常識を検討し直し、新しい生き方をしていかなければならない

 

それを難しく考えることはない、集い、語り、仲良く活動すればいいのだけれど
それが貸スタジオの連中と同じ仕儀になってしまうと、ちょっと違う気がするのだ
そりゃ憂さは晴れ、心は弾み、笑顔を交わし、お互いの絆は確かめ合えるだろうが
それってほんとうにひととひとが出会ったことになるのだろうか、疑わしいことだ
それは本音の発露なんだろうか、人とは違う自分ならでは真情の表現なのだろうか
そこで“生命の言葉”が語られ、“命の響き”が奏でられ、「愛」に響かせたいもの

 

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