詩集「出会い」
お店にコーヒーを召し上がりにいらした方々と話しをしていた時、どんどん胸が苦しくなって、どうでもいい話しでなくて、コンサートと講座の事をお伝えしてないから…とわかり、話しをました。高麗さんの事をお話しし自然と「出会い」の詩集の頁をひらいたところを読みあいました。どうでもいい話しに頷いた時とは皆んな声もかわって、お一人の方が「常におそってくる死への誘いにどんどんすいこまれそうになるとき、ふっと抱きかかえるように私を支えてくれた神のような感覚を私は知っています。」と読まれた時、どきっとし、その方の空気まで変わっていきました。サウンドシステムからの音の響きのなかでコーヒーをいただき、詩の心に出会える流れをありがとうございます。いのちの奥に届く高麗さんの言葉は、いつも 今の自分に最も必要ないのちとひとつの言葉です。
夕方 ビデオ講演会サロンに参加させていただきました。自分は成果が上がっているわけではないのに、掃除ひとつとっても、やだと感じる場になるとガリガリうるさく掃除をしていたことが、同じ場ではたらく人を不自由にし、不愉快にさせていたことに気づきました。方法でなく、先生の空間があることを自分がわすれているからぶつかっていることが、お話しからわかっていきました。本日、応用コースの開催あり、三鷹での存在論があり、高麗の地での2夜連続、「高句麗伝説」とむかえらますこと、とんでもない流れと実感いたします。ありがとうございます。