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言葉を紡ぐ


(過日の応用講座で、「人を当てにしない」ことと「人と良い関係を築く」ことの難しさに思い悩んでいましたが、京都での「高句麗伝説」に参加し、「ここで、こうして生きていけばいいのだ!」という確信のようなものを得ました。ありがとうございました。やっと体調も良くなってきました。)

言葉を紡ぐ
       
 繭から糸を取るように、言葉から丁寧に「つながり」を編み出していきたい。言葉は、「こと」の「は」であって、「もの」のある面を指し示す記号でしかないが、丁寧に扱うと、深い意味や命を育む知恵につながる繊維のような側面を持っていると思うから。見知らぬ野花の名前を聞き、鬱屈した心情が解放に向かうこともある。また、人と話していても、ある言葉が、ふともう一つの道を指し示してくれるし、本を読んでいても、その副詞や比喩が文脈から抜け出してきて、自分の思考を確かなものにしてくれることがあるのだ。もっと言葉を丁寧に扱い、自分の存在の支えにしたいものだ。
 先日、現代作家の小説#を読んでいて、「辿辿しい悩み」というところで目が留まった。主人公が子育てに未熟ながら、苦心しているさまを描写する文脈にあった。調べると、明治以降に使われた口語らしく、「辿る」(苦難して進む)からきた擬音語っぽい言葉だ。このごろ、擬音語や擬態語の不思議な魅力に注目していて、言葉と音との中間で、もしかしたらことの本質をうまく言い表す語ではないかと思っているからだ。そして、わたしは、いつも山道を辿っているし、わが人生もずっと「たどたどしい」ものと見ていて、なにか生き方を肯定されたようにも考えたからかも。
 そう言えば、「初々しい」とか、「しらじらしい」とか、「重々しい」とか、いくらでも、オノマトペっぽい日本語が出て来て、とうとう「馬鹿馬鹿しく」なってしまったが……。さらに、これもどこか擬音語っぽいが、「したたか」という語にも関心が走る。「なかなか手ごわいさま」だが、「したためる」(文章を書く・食事をする)という関連が気になる。ちゃんと食事をし、きちんと思いを書き留めることが、つよい生き方につながるのでは、と考えたりして。
言葉を辿りながら紡ぎ出していく行為は貴重だと思う。5.12.                   (#平野啓一郎著『破壊』)

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