言葉にすること
仙台、盛岡でのいだきしん先生のコンサート、講座、高麗恵子作品展での経験を経て、一歩を踏み出したのに、思考回路は過去が残っていて行手を遮ろうとしていたのです。それを察知されていたかの如く、「高句麗伝説に向かって」のメールが届きました。「2度と滅びぬ国創り」「宮廷の恋」を読み終えたときには、keiko koma チームミーティングの参加とアントレプレヌールサロンの参加を決めていました。魂が動いてならず、そのまま身を運ぶよりなかったのです。お金のことは身を運んでから考えることにしました。いだきしん先生にお会いするより、ましてはこれから新しく仕事をするのにアントレプレヌールサロンにて先生にお会いすることは必須だったのです。アントレプレヌールサロン前のミーティングにお越しになった高麗さんのファッションを一目見た瞬間、言葉にすると「恋 ときめき」でした。黄色のお衣装、ブルーのTシャツに黄色とブルーのベネチアンネックレス。なぜにこれほどときめくのか。アントレプレヌールサロンにて「自分のことを言葉にしてコピーにならないと仕事にならない。」とのお話しを受けて、ミーティングで高麗さんにお会いした時の「恋 ときめき」を言葉にしようと帰宅してから書き出しました。新しい仕事は高麗さんの詩集「魂の詩」を魂現る皮のマーブリング詩集カバーといっしょに売ることです。高麗さんの詩をわかっていかないと、また自分がなぜ売りたいのかをわかっていかないと仕事になりません。先生のお話しは正にタイムリーでした。でもお話しだけで実行しなければ成っていかないので、高麗さんのファッションにときめいたところから書き出していきました。また、お金のことも何度も全部使っちゃダメなんだとずっと前からお聞きしていても実行してないので実行します。いだき講座を受講し、コンサートや講座をたくさん経験している内面は豊かであると感じるのですが、中にあるものをそのまま認めないと言葉が出てきません。自分で蓋をしていては本音を表す言葉はでません。
嫌なことに向き合って乗り越えるよりありません。手がかりはあります。高句麗の姫たちが船出したことです。高麗さんの「魂の詩」を何度も読みます。あの時、姫とともに高句麗に向かった人たち。どんどん気持ちを書き出していくと「取り残された」ことを恨んでいることがわかり、あの場に立った時、胸の奥深くから突き上げる慟哭は「悲しみ」「寂しい」ひとりになった恐怖などなどで、さらにそのことを隠す様に、人との関係は愛ではなく「2度と別れたくない」という恐怖からくる「執着」であることがわかりました。人との別れ、置いて行かれてひとりぼっちになる恐怖。ひとりぼっちの恐怖を直視できず誤魔化すとき、高麗さんにぶら下がる状態も「好き」だからではなく「執着」だったからなのです。「執着」を認めると心は軽くなり、高麗さんの黄色とブルーのファッションに心ときめく理由もわかってきました。「春の野山で生まれた恋」を知っているからです。京都での苦しかった日々、高麗さんを感じたとき自分の中にある「別れる」恐怖とダブったのです。2度と別れない様にと必死でした。でも状態が「執着」からだったので、キッチンでグラスを洗う高麗さんにくっついて語る言葉は「愛」ではなかったことが今は良くわかります。別れが起きない様にあの手この手で必死です。「執着」から解放されて「春の野山」の香りいっぱいの高麗さんのファッションから「高句麗の愛」を経験します。アントレプレヌールサロンにて、先生が仰った「ミッション」が仕事になる様に、どんどん言葉にして、いろいろとやりたいことをやっていきます。収入の10%を必ず貯金することも、そして投資することも。これからが楽しみです。そして明日11日の三鷹光のホールでの先生のコンサート、12日の高句麗伝説。何が明かされ、自分の中で何が起こるのか愉しみであります。ありがとうございます。