言えない
重い錆びた鉄の扉がギシギシと開けられるような、何か心の中で堰き止めている物を言い当てられたような心情で本日のライブ配信を拝聴しました。後悔の殆どがオンタイムで言えない、聞けないに集約されると腑に落ちました。簡単なことでした。しかし、次に何かある時に言える自分でありますようにと願いますが、後ろめたさや何か足を引っ張ることを引きづらないよう毎日過ごそうと感じております。また第1回の「いだき」オンデマンドも拝聴しておりますが、「わが命」のお話を理解しようと耳を大きくして聞き入りました。全てが猿田彦大神「ご自身」の「命」そのものとして在られること、人間とし在られた時もその状態で物事に取り組んでいらしたということかと考えました。となると、私の命も猿田彦大神の御「命」として「受けとめて」下さっていることかとなります。天照大御神と猿田彦大神ともっと身体でわかる心であろうと気持ちが湧き、それには自分があまりに軟弱すぎると実感するところです。本当に自分がやりたかったこと、自分の本質(命)をあらわし生きることが、ひとつになることともあり、行動したいと感じます。
ありがとうございます。
田嶋利江子