考える
「イェルサレムのアイヒマン」を読み終え、というより読書苦手な私は目を通すになるのだけど、「自分の枠を壊す事にある。」と確信するようにすぐの言葉に、よくわからないながら肩の荷降りホッとする安堵感。カーレント氏の本文に「彼の述べることは、常に同じであり、しかも常に同じ言葉で表現した。彼の語るのを聞いていればいるほど、この話す能力の不足が考える能力 ー つまり誰か他の人の立場に立って考える能力 ー の不足と密接に結びついていることがますます明白になって来る。アイヒマンとは意志の疎通が不可能である。言葉と他人の存在に対する、従って現実にそのものに対する最も確実な防衛機構(すなわち想像力の完全な欠如という防衛機構)で身を鎧っているからである。」とあり、まったく、私のことである。感じる→考える→話すの流れに言葉の大事知る。言葉をも封印していたと気づくと、感じるを遮断していたから当然の流れともわかる。本を閉じすぐに出てきた言葉、ここに書くことで自分のものになっていくよう感じる。ライブ「応用コース」の「言葉がエネルギー」を思い出している。以前人間になると書いていたが、人間やっていくに変える。いのちと意志疎通し、心も言葉も解放と書き貼る。ありがとうございます。