要の表現から生まれる真
無事にお戻りになられましたこと、本当に心より嬉しくホッとしました。渋谷でのコンサートはやはり何か不思議な分岐点に多く開催されるということは偶然なのかと思い巡らせます。
仙台のいずみシティでのコンサートの折に、ある試みをしたことがありました。空間に自分を開放し、ひとつという状態がわかり始めた頃のことで、ここのホールでの下からしがみつかれるような下半身の体感とコールタールのような吹きでる汗に体が塞がれて、そんな中で先生の音から生まれる空間が上昇する流れを生み出し拮抗しているようにみえたことがあります。この流れに人間が介入できるのか…ということでした。
先日主客同一とお聞きして、コンサートの体感にピンときたのですが、主体と客体は意識で自由に行き来出来ますが、主体としての私の意思をその空間に入れることが可能なのか…と感じるほどに厳しいいずみシティでのコンサートでした。私をどんどん開放して体が空間に溶けていった時に、体である空間を持ち上げるようにすると先生の音がどんどん強くなり体がメッキが剥がれるように上からの重圧を押し上げていった…という経験でした。その後何度か似た経験をして、内的環境が外的環境にあらわれるということが体感として自分の中で腑に落ち、そう言い切れるようになりました。
そしてそれが最終地点と思っていたけれど、実はまだ先があることを感じ始めている今です。あまりに透明で何もかも明かされるような空間から何が明かされるのか、答えはまだないですが創造の源からの光に心が震えるようなエネルギーに満ちていくように感じています。ありがとうございます。