西行、Xの世界
DXやGXなど巷に溢れるXで人々は益々混迷しているらしいが、Xは西行であり、Xは芭蕉であると捉えれば、DもGもあくまで道具なので人間が変わらないと何も未来創造のXになっていかないのはよくわかります。人間が変わるとは、例えば北面武士として共に優秀な武士として活躍した平清盛と親しかった佐藤義清が23歳で突然出家し、「西行」となったとすれば「どう変わるか」についても大変わかりやすいお話です。
西行は学生時代から気になりつつも志が充満するほどインプットされていた若い頃には惹かれても、老荘思想と同じく中々行き着く生き方ではありませんでした。流鏑馬の名手で、激しい恋もし、武士としても抜群に秀でていたカッコいい男を思わせる西行です。突然出家し「歌人」としての存在者とならず、歌を詠むことで「存在」を表し人間本来の生き方を求めていたと想像します。「もののあわれ」の世界に生きたのでしょう。いだきアントレプレブナーとして西行のような存在がモデルとなる時代に入ったとも感じられました。いや、ずっとそうだったのでしょうか・・・。いつも尊い経験をありがとうございます。