KEIKO KOMA Webサロン

表現


溝という言葉を聞いて、くぼんでいる場所というイメージしか湧きませんでした。Web サロンの書き込みを拝見して、人との間の心の溝 というのもあるのだと気づきました。そういう意味で言ったら 溝だらけだと感じました。

水面に映る自分の姿、水の入っている容器が壊れ、存在者である 自分が壊れる。存在との出会い、見る意識からの解放はこのようなことと知りました。

存在のままに在る自分である時
先生のピアノとひとつとなる
すべての存在を大きな御手で抱くように
体も心も 開放され
大きな光に自分を明け渡していく
他者のいのちとひとつ
愛の空間 生まれる

多賀城の高句麗伝説からこちら 掘り起こされた たくさんの想いが私にも苦しく感じられました。だんだん はっきりしたその言葉は手柄でした。色々なのだと思いますが 戦国時代でも今でも手柄を立てるということ、認めてほしい 分かってほしい このような思いが自分の中にもある思いと呼応して湧き出てくるような感じでした。分断するエネルギーと感じられてなりませんでした。

溝がなくなり、今 各国で苦しんでいる方々にも届きますようにと願い 本日のコンサートにも参加させていただきます。ありがとうございました。

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結工房より
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アーティストと一緒に
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NPO高麗 東北センターにて