行きて梅林に遭う
いつもギリギリのところで先生に助けられているように感じているのは、わたしだけではあるまい。ただそれを声高に言うのも追従のように採られては、だれも心外だろう。だから、こんな詩を書いてみた。
行きて梅林に遭う
山道を下って、神社の広葉樹の森に入ったところに、梅林があった
そこに梅林があることは知っていたが、いかにもそれは偶然だった
予定を調整して短い山歩きを知人と楽しんでいた最後の場面で
もう汗ばむような陽気で、季節の推移を肌で感じていたときなのだ
これは遅咲きの梅で、ちょうど見ごろなのですと、おばあさんが言う
鮮やかな紅梅は語り掛けてくるし、薄い色の花たちは笑いかける
とまれちょっと立ち止まって、煩わしい日常、不遇や孤独を忘れよう
もう綱渡りのような毎日を、何度も背負い直してなんとか生きている
こんな思いを理解して、実践に移そうなんて思う人はいるはずもない
他者や未来のために創造を志し、協働するような人はいるはずもない
世の中、話の分からない人や、目先のことしか考えられない人ばかり
でも、ほんとうは一人一人の魂は輝きを失っていないし、分かるはず
だれの中にも梅は美しく、春の光は届き、明日へのきっかけはあるはず
そう思って梅林を歩いていたら、うれしいことを携帯電話が伝えてきた