薄墨の桜
今年は本当に予期せぬいろいろなことが起き、瞬間の判断を試される日々です。そんな中、1/4に友人が息を引き取ったと連絡が入りました。アントレで人生150年と話があったのに、40代の若さでこの世を去るのはあまりに早すぎると感じてなりませんでした。
三鷹、四谷と先生のコンサートを一緒に経験して、四谷のコンサートで感極まった彼女はお客様をお見送りしている高麗さんにハグをしたくなっちゃうと言い始め、私を困らせたことがついこないだのことのように思い出されます。発病してからは彼女が起きている時間にはいつも訪問できず、本音で生きてくださいの本や先生の焙煎されたコーヒーをそっとドアノブにかけて回復を祈っていました。本を読んでくれたのか、近い友人からは彼女が変わろうとしていたと話してくれました。一番食べたいものを誰よりも先に食べられるようになったとそんな夫婦間、親子間であったことに胸が詰まりました。
また会いに来てね。動けるようになったらいだき先生のコンサートにも連れて行ってね。
生きている間にはどちらの約束も果たせないまま、7日最期のお別れに向かった夜。ふと時計を見るとちょうどヤマハでのコンサートが始まって間もなくの時間が最期のお別れの時となりました。痛み止めも効かない苦痛に耐えた魂は自由にコンサートを共に出来たことを願ってやみませんでした。
乱気流の時代に、今日の高句麗伝説があることが道しるべです。いつも変わらぬ灯をありがとうございます。