KEIKO KOMA Webサロン

至福の極み


銀座から深大寺まで、趣が違う場に行き、三鷹でのコンサートへと向かいました。どこへ行っても先生のコンサートの会場ほど、生命が安堵する場はありません。今日もたどり着けて良かったと心底うれしく、開演前には演奏をお聴きできることがうれしくてたまりませんでした。今日のメッセージから掲載させていただきます。

「怒涛の如くおしよせる聖なるちから」

「「聖なるちから」というと何か静かでそよ風よりも気持ちよくあるのかないのかわからないけれども何かありがたいという、そういうイメージがあるのではないでしょうか。人間中心主義に陥ったとても間違っている観念です。荒波に立ち向かってもたださらされるだけです。「聖なるちから」はどのようにしても避けることができません。気がつかないうちに命が助かっています。何によってという原因はありません。問題や病気には原因があります。より良く生きる為に誰もが種々様々に気をつけます。気をつけていることの中には間違いも沢山あります。いずれただされて人生の素晴らしさを経験するためのプロセスです。すべての時、すべての場面にはたらいている「聖なるちから」です。「怒涛の如くおしよせる聖なるちから」はいつという時は決まっていません。どのようなことかも「怒涛」という言葉以外に表すことはできません。」

第2部「聖なる愛」

「命あって愛は経験しますが、愛は絶えず命までも乗り越え、無重力の感覚の内に愛があります。命にあわないものをはぎとり、よこしまな心は一切よせつけず、ただただ愛は無重力の内にあります。内とはいえ外側があるわけではありません。広大という言語すら小さく無限という言葉ですら有限を感じる「聖なる愛」の本姓です。」

今日もとてもピアノとは思えぬ音の連続に驚いていました。ピアノではなく、なんであるのかを考えると、私には地球が見え宇宙が見えるのです。前回の三鷹でのコンサートの時に地球神、宇宙神が存在するのかと考えながらお聴きした初めての音と世界が今日も現れ、壮大な世界に身を置いていました。宇宙に飛び出たような気持ちとなります。そして時にはものすごい波飛沫を受け、視界が悪いところを必死になり抜け出そうとしていたり、荒波を乗り越えようと、自分の背を遥かに超える波に呑まれそうになりながらも必死で何かにつかまっているようであったりと、すべては経験したこともないので、イメージに過ぎませんが、波飛沫を受けている感覚と断崖絶壁にしがみつき、太刀打ちできないスコールに打たれている感覚がとてもリアルでした。エチオピアにて、見たことも経験したこともないスコールに遭遇した時、言葉に尽くせぬ勢いと物凄さに、自然の前では人間は太刀打ちできないと頭を垂れたことを思い出しました。心の中では波飛沫を浴びながら、「怒涛の如く」と繰り返しつぶやいていました。頭から全身までスコールにより洗われたような体感でした。気持ち良いことこの上ないのです。只事ならぬ演奏でありました。頭にも心にも何も浮かばずに、ただただ先生の演奏を楽しんでお聴きできることがうれしく、この至福の時を過ごせることがうれしく、ありがたくてたまりませんでした。2部も聴いたことのない音の連続で、お聴きしているだけで心が豊かになり、楽しいのです。何の意味があるのかと考える間もなく、楽しいままに無我夢中で演奏をお聴きするままに、終演を迎えました。とても素敵な時でした。アンコールにて、突然見えた映像がありました。一瞬、三鷹の地なので、アリランが登場するかと期待していました。その時、10代の頃に見た北朝鮮の映画の風景が目の前に現れました。美しい野山の風景です。当時も私は胸が動き、号泣してしまったのです。高句麗の地があったところだからとは後から知ったことでした。「宮廷の恋」の詩にも書かせていただいている風景です。映画で見たのですが、私は内で確かに知っている感覚があるのです。この風景の意味を考える間はありませんでしたが、過去の象徴と感じ、過去には夢がなく、真を実現することもなく、人間の本姓を表し生きることはなかったと歴史を見た瞬間、私は突然「聖なる愛」と心の中で叫んでいました。今、目の前にたちあらわる世界も、経験する体感も過去の一切と違い、過去の延長では全くなく、人間が生きる世界と生命で感じたのです。同時にコンサートメッセージは「聖なる愛」と気付き、驚喜しました。無我夢中で先生の演奏を楽しく聴かせていただき、「聖なる愛」を経験したことに気づいたのです。すごいと感服したところで、終演となりました。拍手よりありません。すべては、時が同時である心地よさに包まれました。「広大という言語すら小さく、無限いう言葉ですら有限を感じる「聖なる愛」の本姓です」を経験させていただくとは、至福の極みです。今までもとてつもない経験をさせていただき、まだ深みがあるのだと、メッセージを詠ませていただいた時に驚いたのです。同時に今日のコンサートで経験できることに心が高なってなりませんでした。コンサートの最後に「聖なる愛」という言葉が生まれたことには自分自身も大変驚きました。椅子に座っているだけで、今日もあり得ない演奏をお聴きでき、人間の本質の深みまで経験できましたことに、大変なる恵みを受けた人生を活かすことばかりを考えます。ありがとうございます。

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とき
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高麗恵子スカイロケットセンターにて
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府中の森芸術劇場どりーむホールにて