至福のとき
やっと「愛のしほり」に会えた! まさに春の光溢れる「高麗ギャラリーカフェ」にて。“柳”という名のケーキと共に飲んだ、そのコーヒーは、愁いを溶かし、しなやかに生きていることの喜びを表わす味がした!
実は、19日の講座で、先生がお話になっていたので、コーヒー「愛のしほり」を、帰りがけに早速購入したのだったが、あまりに気分が高揚していたためか、階下のトイレの中に置き忘れて、帰宅してから気づいたのだった。(東京に事務所に電話したら、なんと気づいた人が習得し、係りの人が八坂の方に置いてくれたとのこと。)そして、翌朝、KKWSの高麗先生の文章をみて、「かほり」とあったので、てっきり仮名遣いの間違い(「かおり」の)かと思って、一報したのだった。つぎの日の「しほり」を読み納得した次第。ネーミング批判ではなく、表記の疑問であり、語源的には「しをり」☞「しおり」であっても、芭蕉の弟子許六の「しほり」という用例もあるので、賢しらすることまでもないと知った。
それでも、何か”言挙げ“してしまったような気がかりが残っていた。それが、今日の京都の街の美しさと明るさが一掃してくれ、和装のカップルが写真を撮る姿や、見とれているような外国人の風情に、すっかり気持ちがよくなった。カフェの庭に光満ち、八坂の塔が実の堂々と青空を支えていた。あまりの気分良さに両手を挙げ、深呼吸して、店の人に笑われてしまった。持っていた新書本も読んでしまった。なにかこのために、二三日の経緯があったようにも感じた。おかげで講座の高揚が再び続いている。(2/22)