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自問


府中のコンサートに参加させて頂き、色々と考えさせられました。ここ数年、鼠径ヘルニアに悩まされていた母が、来週17日に手術をすることになりました。90歳の高齢による手術のリスクよりも、これ以上時限爆弾で苦しみたくないという本人の希望を尊重しました。京都のコンサートの日に心臓の検査に付き添い、体力も気力も自分になければ寄り添うこともできないと、疲弊している自分が情けなく、もっと強くならなければと痛感したのです。ですが、その日のコンサートにて観念は邪魔であると教えられました。一昨日の府中のコンサートでは、ライブ配信で拝聴しながら胸の奥底に小さなさざ波が、大きな波紋となってざわざわと広がりました。ずっと、揺さぶりかけるものがありました。その後、泣きたくなるほど口惜しい思いをしました。勇気を出して言葉を言い出せなかったのです。意気地なしの自分を責めましたが、素直にそのまま言えなかったのだと気づきました。そして昨日とはなりましたが会場でお聴きしたコンサートでは、強い、弱いなんてあるのだろうかと自問していました。「男と女のある何か」と問うた時、私は何者で生きてきたのだろうかと急にぐらついたのです。会社では男性も女性もなく働き、親を支えるのは娘としてであったのかさえも怪しいのです。しっかりせねばならないとばかり、意識していました。男と女しかいないこの世で、女であることをいつから忘れてしまったのでしょうか。要らぬことで疲労困憊し、肝心な時に素直になれない自分は何なのか。先生のピアノが、やさしく包み込んでくださいます。あたたかさが全身に広がり、涙が滲みます。希望の光の愛を、ありがとうございます。

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