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自分を知る


ようやく今週の渋谷コンサートそして三鷹、府中の森に参加することができました。
三鷹コンサートのメッセージ「自分を知ること」は府中の森コンサートへと続きました。コンサートでありながら、メッセージは哲学のようでもあり、演奏中も意味を考えていました。自分を知っているのか、知ろうとしていたのか、、時に自己卑下、自己否定している自分に、自己の尊厳はあったのか。アントレプレヌールサロンでもあったフィットを三鷹コンサートで経験し、フィットすることはこれほど心地よいものなのかと感じ、身を任せました。そして府中の森コンサートは、更に素晴らしい経験をすることができました。パイプオルガンが響く中、ある音が心臓に響き、バッと溶けた瞬間がありました。これまで自分の人生でありながら、他の人の時間、他の人の軸で生きていたことに気がつきました。他人の言動を気にしたり、思い巡らせていること自体が自分の時ではないこと、自分を知るより自分以外を知ろうとしていた時間がいかに長かったかを考えました。パイプオルガンの深い音に母を想います。亡くなってから見つかった母のノートには、愛とは、愛するとは、、と記述が残されていました。父との関係で苦しんだ人生でした。母も愛を求めていたのでしょう。今の私の生き方は、もしかしたら過去に母が望んでいた生き方かもしれません。経済的、精神的に自律をして、自分の力で子供を育て、答えのある方に出逢い解決していく。諦めざるを得なかった母の人生、、私は自分を知り、改めて新たな生きることを考えます。パイプオルガンで神があらわれるがごとくの演奏に首を垂れ、光のシャワーを浴びるが如くに気持ちのいい演奏に光を仰ぎ目を閉じました。フィットして自分を知り、大いなる存在に包まれるように自分を知ることの経験に、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
長女の2歳になるそうちゃんは、最近は何が嫌か、何が好きか、何をしたいか、主語述語ではっきりと伝え始めています。全てがはっきりとしていて譲りません。理解できない何かこわい存在には顔を隠します。小さな子のこれらの小さな気持ちを潰して行くと、今の私を含めた大人のようになるのでしょう。魂を奥に押し込め、長年周りの人に尺をあわせ、コントロールに嵌り何が自分かわからなくなった日本人。自分勝手ではない自分の尊厳、存在を考えます。苦しい時の神頼み、イダキ頼みのような教訓は既に通用しないのを経験しました。教訓はひとつ残らずコンサートで捨てました。自分を知り、自分の言葉で表現し、即実行すること、今日から生き直しです。
今でもうれしさに涙が出そうになる昨日のコンサート、素晴らしいコンサートに参加できましたこと、心からありがとうござます。来週は仙台コンサートに参加させていただきます。

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モルモラ 黒
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NPO高麗 迎賓館にて
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レバノンより