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命清められ


 仙台コンサート、バスでは一番前の席でしたので前方がまるごとよくみえ、青々と繁る東北の山々を走り過ぎ、北へ北へと向かう仙台への道は車窓豊かでした。

 お会いしたことのない晴美様ですが、10数年前の桜なかりせばの青森のコンサートにて、晴美様の存在とお会いしました事今も思い出します。

お命日にお供えのお花に心を感じ、北上川の故郷と言葉になった時、お生まれになられたところにお戻りになったのだと感じた瞬間、涙が溢れて泣きそうになりました。外と違い、ロビーの中は、魂に満ち溢れており、魂動く経験です。

一部のメッセージをお聞きし、若い頃、先生と晴美様が出逢われた仙台の地の時代を遡り、想像するだけで、聡明で崇高なお二人の精神、気高き存在、恋の香りに包まれます。今も晴美様が先生と共におられること、愛の音から感じ愛とひとつになれますこと、感謝よりありません。一部では、桜の花一面、美しい時です。
旋律の音とひとつに生きる瞬間瞬間、あまりにも繊細で深淵で透明で純粋な光です。光の筋はどこまでも伸びゆき体全体に広がっていき一掃されます。
二部では、アリランの音から、高句麗やそれぞれの歴史の悲しみ愛を感じてしまいます。
先生の演奏される音とひとつにありますと、ずっとはるか遠くの次元まで一緒に連れて行って下さってるようでずっとこの感じとともにありたいです。二部の後半では、大型爬虫類が一匹、二匹と続いて現れました。綺麗な身体には住めなくなって出て行ったのだと感謝します。この経験から最近の出来事を彷彿させ、ある思い当たる節があり、油断も隙もないと、いつもいだきで生きていたい、気をつけようと言葉になります。人間とは爬虫類を潜ませて生きている存在なのだと、私の中にも元々あったので呼び寄せていたのだろうかと、人間は表面でなく、内面を分かり生きていかないと、とんでもない人生となり、騙され続け死んでいくだけだで死んでもろくなところに行きはしないと言葉になります。表面でしか出逢えない社会では、本当の人間としては生きれないのだと。1回目のアンコールでは、いだきのはたらきを伝えることに欠けている今の状態を省み、もっと伝えていかないといけない、と首をたれました。二部のアンコールではしきりに拍手ししていることも忘れていました。全体がひとつの波となり水色の川の流れが見えていました。
二部ではこれからやることも見え、ありがとうございます。二部のアンコールで見えた光景はどのようなメッセージなのか未来がたのしみです。
まことにありがとうございます。

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