考える
前回のこのサロンへの投稿からずっと、明日の(今日の)アントレを指折り数えて過ごしておりましたが、あろうことか二度目の感染が発覚し、断腸の思いで断念しました。こんなことがあると「生き方が悪いから」とか「いだき受講生のくせに」と自分で自分を責めてしまいそうですが、そんな態度を先生がご覧になったらどう思われるのだろうと考えまして、とにかく、熱もさほど酷くなく、何日も動くこともできなかった1回目の状態と比べたら軽微な症状であるので、自宅謹慎中にできることは全部やってしまえ!と、毎日自宅でできる作業を黙々と続けています。でもやっぱり内心は「あーあ・・・」というガッカリ感が。そりゃそうです、先生にお会いできる貴重な機会を逃したのですもの、私のバカ。今回の感染は、タイミングが悪かったとしか言いようのないいくつかの原因が重なってなってしまったのですが、その根本原因は、一緒に暮らす人間との関係性のおかしさからきているのではないかと考えました。以前先生がおっしゃった「目を見て話す」こともよくよく考えたらできていない。一緒にいたいのかそうじゃないのか、よくわからない。側から見たら仲良さそうだけど、本当に伝えたいことは言葉にできてない、言葉にしたらすぐに険悪になるから避けてしまっている、一日に何回も「ひとりになりたい」と内心で叫んでいる。同じ屋根の下で暮らしてる感じがしない、「これだけは許せん」と思う事柄を「でも結構いい人だから」で打ち消している。一人で生きるには現代社会での自立ができていない、仕事は全力で成しているけれど収入が・・・と、堂々巡りを繰り返している数年です。受講して以来30数年、これまで相当なものを先生に受け止めてもらっているのに、私は今も人が(特に男の人が)機嫌が悪くなるのが、本当怖いのです。不機嫌な顔を見るのが嫌なのです。だったら自分さえ我慢して犠牲になって、それで穏便にことが済むなら、私が我慢すればいい、私さえ我慢すれば波風立たずに終わる・・・と、こんな思考になってしまう。暴力で家庭を支配していたあの父が、今もまだのしかかっているのでしょうか。暗澹たる気持ちになります。世の中の人がそのかたのお父上の優しかった思い出など語ると、いつも私の中から恨みのような怒りのような炎がメラメラと燃え盛るのです。(高麗さんのお父様のお話だけは、全くそのような感情は起きません。これはずっと昔に、先生がおっしゃって下さった、たった一言で、呪縛が解けたようになったおかげです)・・・このサロンでここまで恥を偲んで書いたのは初めてかもしれません。しかしここまでを読み返して、生まれた言葉は「古い!」でした(まったく。昭和か!)そして「情けない」でした。このままじゃいかん。いだきに出逢ったこの奇跡の人生は、単なる偶然ではないのだから、先生に出会えた人間なのだから、どうにかして生きていく生き方を生きていかなきゃ(変な文章ですが)・・・人の希望になるような生き方をしないでなんの人生か!と、情けなくも必死に考えています・・・考える?・・・ハンナ・アーレントは考えて考えて、考えることをやめなかったと聞きます。頭は考えるためについていると教わりました。「こうすればよい」「これが正解」と安直に答えを見つけられたら楽なのでしょうが、考えて考えて考えて参ります。そして実行します。(←と書いただけで怖くて震える。ここに何かのストッパーが?)中途半端な投稿で申し訳ないです。先生これまで30数年、ありがとうございます。受講前、今よりずっと遥かにバカだった私、生きるのが辛く、生き方が下手だった私を思い出し、なぜか突然感謝溢れる深夜2時前でした。