考える力、存在を表現する力
「内面は宇宙より広い」。
もう20数年前でしょうか?海外コンサートの記者会見でいだきしん先生が記者の質問にスパッとこのことばを表現されてからいだきの真髄はここにあると確信しました。が、当時は想像はするものの実際にはどういうことかはよくわかりませんでした。その後の応用コースをはじめとしてアントレプレヌールサロン、存在論、ジェンダー、死について等の講座、講演会でお聞きするお話は心、精神、魂、神、宇宙、宇宙の生まれる3段階前へと繋がる人間のいのちについて理解が深まっていきました。特に存在論に欠かさず参加し、わからないことは必ず質問するようになってからは心、精神、魂、神、宇宙、宇宙が生まれる3段階前の繋がりが徐々にわかりはじめました。
そしてある時からはじまったコンサートメッセージはまだ音ではわからない限界を超え、更に本質へ進むためのとても尊い経験になっていきました。存在論でハイデガーを例にして話していただくことも「内面は宇宙より広い」に繋がっていきました。内面を広く深く感じはじめた頃から「外界、外側」という「世界」も「世界内存在」、「存在者」というハイデガーのことば、哲学によってわかりやすく理解する新たな道を開いていただきました。先生に最初にお会いした頃は「神」といえばヤハウェ、八百万の神々、氏神などあまりにも多くの存在をひっくるめて捉えていたので神の存在についてはしばらくの間は混乱しました。ある頃から先生の「いのちのちから」との表現によって真の神の存在への理解にグッと近づいていきました。
また、社会主義、共産主義に向かうための理論を打ち立てた偉大な経済学者と思い込んでいたマルクスが人間を限りなく疎外している「包摂」という状況、状態と格闘していた、経済学者にとどまらない偉大なる人物であることも徐々にわかってきて、外側の様々な世界のあり様や体制、存在者という人間の捉え方が内面を小さな俗世間に縛りつけ労働疎外、人間疎外の元になっていることなども学びました。頭と身体、内面と外側の一体化を目指し、自らの頭で考え、実践する。実践するとは余計なものを排除し、何もない状態でからだの全体性を整え「内面は宇宙より広い」との世界に進んでいくこともわかってきました。ミトコンドリアや微生物の世界から内面と外側の世界、宇宙、宇宙の生まれる3段階前に至る全てのいのちの繋がりを自らの「からだ」、「いのち」でわかっていくことが要になっていきました。
かつては身近な存在としては認識できなかったナザレのイエス・.キリストという方の存在が2000年に渡って人類全てに影響し、さらに先生によれば5000年前から闇の世界に嵌っていた人類。その人類史を経て、地球が生き残るために自ら産み出した(としか私には考えられない)全く新しい生命、いだきしん先生が「人間とは何か」を探求し続けてくださり、「いだき」をはじめてくださいました。天を地に実現する高句麗のご子孫で「花々と木々から生れ出た使徒」、高麗恵子さんが先生と出会われ、「いだき」をこの世の事業として興されました。
そして、この度の先生の復活の後に新たな存在として登場してきたヘーゲルは先生が学生時代にマルクスを理解するために読んでいたとのことですが、人は痛みを感じることで「なぜそれが起こるか」を考え、痛みをとるために行為行動していくとの考え方が大論理学の背景にあり、ヘーゲルは先生と同じく36歳でからだが変化した方で、人間の未来に役立つように哲学を実践していたとのことです。ヘーゲルはいだきしん先生によって今の時代に復活しつつあると捉えます。その前にイエス様の復活があり、コンサートメッセージで表現される様々な神々との交流、愛のフィールドが世界中、宇宙中に伝播、伝搬し、闇からの栄光がこれからどのようにに広がっていくのかは全くわかりませんが、ただ、先生が仰ってきたように必ず世界は変わるのだろう、、と推察はします。そして日々自らの存在を問うことは先生に出会ってから毎日続いている課題です。
「内面は宇宙より広い」。そこで次々と起こっているであろう幸福の状態をコンサート空間で感じられるように精進することが今は「今を生きる」ことです。6月22日の応用コースからずーっと表現したい気持ちがありながら中々書けなかったことが7月13日の先生のネットのお話をお聞きして、根底に連なる大動脈を大いに刺激していただき、まだまだ粗っぽい表現ですが自分の中で「中心であり全体性に向かう今の状態」を表現することが出来て一つ大きな壁を抜けられました。小学生の頃からどうすれば考えられるかを先生に問うても答えを得られなかったご経験から自分で考えることに徹してこられた いだきしん先生のお話はとてもわかりやすく、特に最後に話していただいた自然や馬との付き合い方がヘーゲルの大論理学と良い具合にマッチして更に存在が身近になりました。
本日の尊いコンサートで一歩でも二歩でも進めばと集中します。いつも尊い経験の場と自分で考えるための的確な導きをありがとうございます。