美しく
1ヶ月振りに会う母は、いつも何だかなぁで登場します。おはようと言っても無言、寝てるんだか起きてるんだかわからないぼんやりとした小さな目。私の掠れて上手く出ないダミ声だけが、個室に響きます。本来なら10分間だけの面会時間を、個室で1時間半弱ご配慮下さいました。最初の登場からは、もうどうでもいいの言葉通りのエネルギーでしたが、私と話しているうちに変化を帯びてきました。目も開き、顔を上げ、表情が表れました。何より驚くのは、声量のちからがあることです。このちからがある限り、大丈夫と嬉しくなり帰ってきました。
「開闢の光景」は、父母と共に参加した最初で最後のコンサートです。予定のお知らせを見た時、何が何でも行くと決めました。大嵐の中を熊野に向かって行くバスで同乗した皆さんと過ごした経験は、一生忘れられません。高麗さんは援軍が向かっていると表現されましたが、正に先生にお会いする一心で向かっておりました。到着するとまるで今までが嘘だったかのように晴れ上がった大空の奇跡の中、大鳥居をくぐり会場に向かったのです。上映されたコンサート開始前の映像には、亡き父の姿がはっきりと映っております。2011年12月12日に亡くなった父の命日の月に、ここで出会え胸が熱くなります。当日、父は前のめりで先生の音を聴いていました。後で聞いたら「そうなるもんかと抵抗しても、体がそうなっていたんだ。」と笑っていたことを思い出しました。新たに驚いたのは、母の姿です。先生が映る映像の、その向こうに母の顔がずっと映し出されていたのです。姿勢正しく、真っ直ぐ先生を見つめる母の顔は、先生を通して私を見ていました。私は父母と同じく今、ここにいる。日本の聖地、熊野本宮大社大斎原「開闢の光景」を上映していただき、感謝いたします。続く「イラン編」は、「精神の源を辿る旅」にて何度見たことでしょう。その度に、ここに行きたいと願い、願いがかなった国です。美しい異文化は創造的な美と共に、新たな出会いの発見です。「魂の語り」の高麗さんの語る音が、最後まで深く深く胸に響き渡りました。美しい音は、美しいまま響きます。美しく生きます。ありがとうございます。