精神 魂 を鍛える 場 IDAKI
いだきしん先生の「存在論」をお聴きしながら、前日のお餅をついてくださる先生のお姿がずっと心にありました。日本人がいつからこの様になってしまったのか考え続けてくださり、わかったことを、ろくに勉強もしないでいる自分にもわかるようにお話くださる先生に、申し訳なく、この時間でわかりたいとお聴きしていました。私たちの学ぶことのベースが、アリストテレスのギリシャ哲学からなっていること、しかも中世ローマカソリックもそこがベースになっているとわかると、一気に頭がスッキリ整理されていき、内面が大事、内面が豊かじゃないと、と先生、高麗さんからお聴きして来たことがやっと理解できはじめました。理解できてくると内側から力が湧いてきます。情動、passion が生まれても精神、魂を鍛えてないと、頭で捉えて我になってしまい、結局身動き取れないとのことも、自分のことでよくわかります。「鍛える」という言葉も自分の理解する「鍛える」とはまるで違いました。「鍛える」のは内面豊かになる経験よりありません。先生にお会いすることです。前日の八坂「高麗」でのお餅つきの経験、コンサート、講座の経験が鍛えることなら、どれも外せません。情動生まれるのは、高麗さんにお会いすることです。高麗さんにお会いして生まれるこのpassion を表現していくことが、生きる意味です。魂の表現が事業になる様に知恵を働かせていきます。ロシアのことが先生が解明されていくと、日本のことも何か動きはじめるのではと感じます。高麗さんがロシアの人たちに、また世界中の魂ある人たちに喜ばれる存在であること、「高句麗」という世界精神をもっとわかっていきたいです。尊い京都での経験をありがとうございます。