筆まめ
「貴兄は筆マメ。珍しいです。」と、知人からの手紙に書かれていた。昔から「作文」は好きだったし、「手紙」のやりとりほどうれしく思うことはなかった。生来の悪筆で、どう考えても、字を書くのは嫌だったはずなのに、構わず書き続けていた。「キーボード」が出現したのが、救世主のように思えた。旅に出ても、イベントに参加しても、何か書き留めずにはいられない。疲れ切って、途中でダウンすることもあるが、できれば記録したい。また、思わぬ誤解を受けたり、人の心を傷つけてしまって、交流が途絶えることもままあるが、できるなら、メールより、手紙を書きたい。あるいは、文章を作成してから、それをメールに添付する。先日も、群馬の女性から、「お手紙を読むと、昔のことを思い出すのか、心が和み、不思議に元気回復します。」と、うれしい言葉をもらった。しかし、それは「珍しい」と言われて、ちょっと冷静になる。何とか往来とか、何々文とか、昔から「手紙」文化が盛んであり、清少納言いらの随筆や日記の伝統もあり、「筆まめ」こそ日本人の必携のたしなみと思ってきたが、現代はもうそうではなくなったのかと。SNSの便利さに比べれば、中一日置いてしか配達しなくなった郵便は、荷厄介な通信手段でしかないのだろう。敬遠されるのも無理はない。しかし、「筆マメ」でい続けたいものだ。