KEIKO KOMA Webサロン

空間とひとつの舞


週が明けた今日は、難民支援物資をご協力くださる企業のお返事をいただき、仲間とダンボール箱の数を必死で数え、なんとか目処がつく段階に来たことにほっとしました。あちらこちらで動いてくださる方々のお返事も良いお返事が多く、時に叶ったことを行えますことはおおいなる存在が共に在り、たくさんの働きかけを受け、真にありがたいかぎりで感謝いっぱいでさせていただいています。息をつく間もないと言う表現が生まれるうれしい忙しさの中で、仙台コンサート会場にたどり着き、いよいよ本番です。

コンサートメッセージ第一部「武」です。

「武士の「武」です。広辞苑によりますと、「雄々しいこと。強いこと。戦いの力。戦いの術。など」「武」という漢字の草書体はひらがなの「む」になりました。力を抜くことで最大の力を得るという日本語独特の稽古、習い事の方法があります。まさしくひらがなの「む」に象徴される余計なものを除き、必要不可欠な一瞬の動きの中に最大の力を見出します。日頃は「静」をもってよしとします。武将は茶を嗜み、舞を愛好し、いざ戦に臨む直前の心身の穏やかさをもってよしとしました。」

静かな音が心に沁み、一音一音が体に入ってきます。メッセージの最後「武将は茶を嗜み、舞を愛好し、。。」のお言葉が心にあり続けました。体に染み入るピアノの音のリズムで、「静」を体感します。「戦に臨む直前の心身の穏やかさ」でさえも、ピアノの音とひとつになる体で覚えていけました。想像さえもできなかった戦に臨む直前の心身の穏やかさを生まれて初めて経験できました。このリズム、この体感をしっかりと身につけていけますように願います。

第2部は「まあい」

「その場の、またはあるべき状態、性質、条件などにぴったりとあっている距離や時機のことを云います。何事につけ「まあい」なくして物事のうまくいくということはありません。たまたまの偶然でうまくいっていることでも実は「まあい」を活用した結果です。ただし偶然なので、「まあい」は意識できていないので、再現性に乏しいです。人生の「まあい」は、言葉の綾のように聞こえるでしょうが、「愛」のはたらく「生きる力。戦う力。の「実」です。」

先生の演奏から、私にはとてつもなく優れた武将が見えました。宮本武蔵でしょうか、と心馳せました。力が抜けて空間とひとつに動く姿は、美しく、舞を見ているようでした。自ずと、自らの生命のよどみ、染みが浮き彫りと見えました。先生の音は、お腹の底をきれいにしてくれました。私はグレーが当たり前の世の中でグレーであることは普通のことであると多くの人がとらえていても、人間の生命を基準に考えると、明らかに生命に反すると見えることに腹がたってならないのです。尊い生命を犠牲にするようなことなど、許し難い怒りが湧いてきます。怒りや、悔しさによっては良い世の中を創ることはできないことは甚い程わかっています。闇の帝王に支配され、餌のように食われていく図形が見えます。その為に生まれてきた訳でもなく、生きている訳ではないのです。完全に曇りはなくしていかないと良い世の中を創れません。ピアノの音により、お腹の底にある怒りが浄められ、戦う力と変わりました。空間とひとつである生命で空間とひとつに戦う時、空間がより澄んでいくことには感動しました。そしてより澄んだ空間とひとつに戦う時、光となり永遠なる存在と変わるのです。深く感動しました。戦うとは、人間とし真っ当に生きることであり、愛の戦いは、世界を平和にするとはっきりと見えた瞬間、心の中で「やった!」と驚喜しました。平和は成るのだと見えたのです。愛によってより、平和はなく、愛に生き、愛に戦うことは平和な世界を創ります。戦うことは生きることとわかりました。この度のレバノンにある難民キャンプへ支援物資を送ることは「まあい」とわかります。尊い人間の生命を奪う武器を投げ込む戦いなど戦いとは言わず、愛の弾丸が投げ込まれた時、空間は澄み渡り、人類の敵と表現したい闇も悪魔も存在する場がなくなるのだと見え、愛はすべてに勝つと胸震えます。くやしさ、怒りによって動くことは自らの生命を傷つけ、痛めます。愛に生きるよりないことが喜びです。日々、空間とひとつに生き動き、心身に余計な思いを溜めずに生きることを訓練します。それには即動くことが必要です。そして解決への道を考え、みつけることが大切です。常に心が曇ることの解決への道を見出し、動くことの訓練をし、空間とひとつである生き方、動き方を身につけていきます。最後は、空間とひとつに舞うように戦う武将が光となり永遠の光となる光景に深く感動し、拍手喝采です。素晴らしいコンサートを経験させていただき、生きる道も動き方も見え、益々素早く動いていきます。

最後に、難民支援活動にあたり、たくさんのご寄付をいただき、物資もご協力をいただき、大変ありがとうございます。今日も、仙台の卸売り市場に買い出しに行き、ご寄付をくださる方々、寄付金をくださる方々、物資を提供くださる方々、無償でたくさんの物資をくださる企業様。。。本当にありがたいと頭が下がります。ふと、私達のように、たくさんのお金がある訳ではないのに、皆でやれることをやると言うお気持ちで懸命に動いていますが、たくさんのお金を持つ人であれば、20フィートコンテナいっぱいの物資を購入し送ることなど、難なくできることなのに、世界中のたくさんのお金持ちは、何故動かないのかと、10歳の頃に、アフリカでは食べ物がなくて子供が死んでいくというニュースを聞いた時と同じ疑問が生まれました。10歳の時、世界にはお金持ちがたくさんいるのに何故子どもたちに食べ物を送ってあげないのかと考えました。またお金がなくても頭の良い人であれば皆が生きていける道を考えられるのに、これだけ世界中に人が大勢いるのに、何故子どもたちを助けられないのかと考えたのでした。大人になるにつれ、ニュースでは知っても自分のことのように考えていけなくなることを経験した時には生きていてもしょうがないと絶望的に生きていたのでした。今、やっと愛を表し、皆様と気持ちひとつに気持ちをお届けできますことは真にありがたいことであります。心より御礼を申し上げます。

ありがとうございます。

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ロームシアター京都サウスホールにて-2
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迎賓館より
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府中の森芸術劇場どりーむホールにて-3