KEIKO KOMA Webサロン

空間という名の宇宙


久しぶりに東北の地にたどりつきました。恋しい岩手の地です。ここまで辿り着け、感謝の気持ちで胸はいっぱいです。昨日は、三鷹の地でのコンサートに参加させていただきました。コンサートにて経験したことがあります。空間とひとつという状態を初めてリアルに経験しました。自分が、名前もなく、この世の物理的な存在感もない、空間と枠のない世界にいました。私の内面が、まことに空間とひとつに在り、自由に在り、自由に流れているような内面である時、同時に私の身体もその内面と同じ自由なる身軽さを獲得していました。どのような時も、たとえ戦の時であってもこの状態であれば『無敵』という姿なのでしょうか。この空間にひとつに溶け込んでいるようにして在る時は、自分が誰なのかとか何であるのかと云う意識さえ何もなく、誠に空間と境なく生きているようでした。どこまでも心身は明るく軽やかで、宇宙と地球の境もない、空間という名の宇宙を旅しているようでした。そんなことを知ると、いつも目に見えている物質は、すごく空間から浮き上がっているので物理的な存在があり、目に見えるのだと考えました。空間から浮き上がっているもの、それは私の言葉にすると「違和」となり、不思議でした。普段目に見える「物」は何かしら空間と違和があるので、わかるとか見えるとか存在を認知できるけれど、でもこの空間と本当に同じにひとつにある時、それはどう云う事なのだろうと想う世界でした。もしここに、私と同じように、空間にひとつに溶け込んでいる人がいても、何も知る術がないのに、どうやってわかるのだろう…とふと考えたコンサートでした。それは、今までのわかるとか認識するという今生きている次元の世界と少し違う次元のように想い、とても愉しい時でした。空間と違和している世界が今の私が当たり前に生きる世界なら、空間と違和しない次元や世界がこの世に、この世界のどこかに在るのだろうかと未知なる世界を生き始める愉しさに心を馳せてしまいます。これはすでに物理の世界なのか何なのかは未知ですが、目に見える物も、もしも今、空間と違和しなくなったらもしかしたらここにあるペンもノートも消えて無くなって、見えなくなるのだろうかと想うととてもワクワクしながら書き込みをしています。
そして昨日のコンサートでの父は、名前も姿もそして生きていた頃の「父」というポジションも何もない、まさしく空間にひとつに溶け込んでいるようでした。
この1ヶ月に様々な経験をさせていただきながら、再びこの地に来られて、今を生きられている事に、心よりありがとうございます。

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