私が動く番
既に昨日となりましたが五年前の七月十日、忘れてはならない手術の朝を迎えました。前夜に突然襲った暗闇は、死への恐怖の奈落の底でした。突如現る光が私の子宮にポッと灯り、先生の光が全身に広がると同時に、あたたかく包まれ救われました。そして手術後のICUでは生き地獄であり、初めて心肺停止を経験しました。まるで廃人のように車椅子に座り、部屋に戻されました。それなのに誰もいなくなった途端、私はすたすたと歩いて先生の音楽をかけ、白いコーヒーを淹れてベッドに腰かけて優雅に飲んでいたのです。医者がびっくり仰天して、病室の入り口で立ったままの姿が今も蘇ります。正に生と死は一つにあり、生かされている、生きている今に至ります。私が、誰かのために動く番です。
区役所に行って、医療制度のことを具体的に教えてもらいました。希望を出した二つのリハビリ病院にも直接電話をかけ、詳しく入院費等をお聞きしました。自己負担となる金額は三ヶ月換算で、やはり三倍以上も異なります。雰囲気が合っているか、リハビリの設備や病院の方針、面会時間等を詳しく見て決めた方がいいとのアドバイスをいただきましたので、もう一度調べてみます。ですが母にとって、どちらがいいのかはきっと金額ではなく、その時の空き状況で自ずと導かれるのだと思います。病室に行くと、偶然担当医とお会いできました。今日から点滴も外し、順調にいっていると仰いました。気になる脳梗塞をお聞きしたら、木曜日にMRIで確認するそうですが薄くなっているとのことで嬉しくなります。母は元気で、「離乳食は不味いね。仕方ないから目をつぶって我慢して全部食べてる。」と、私の顔を見るなり教えます。「ただ寝ているだけじゃ能がないから、足で布団を蹴飛ばして運動している」との言葉には笑いました。「暑いから夏用のマスクと、シッカロールを今度持ってきて。」と言うので、場所を聞くと明確に指示する母はすごいです。私が病院を卒業したと伝えると、「よかったね、おめでとう。一つ一つだね。」と、真っ直ぐ私を見つめました。母が言う通り、正に一つ一つが積み重なって、先に向かっています。母を見る度に、私も頑張ろうと元気をもらう今です。ありがとうございます。