神共に働く生命
今日、生まれて初めて、朝の身支度と昨夜やり残した掃除を済ませてから家を出ました。掃除そのものが今までとはまるで違うものに感じます。自分の生活が神共にあるようなのです。神様のいることを感じると、自ずと綺麗にすることが自然となります。小学校1年の時に、もし、旧約聖書の創成期物語ではなく、日本神話の天地開闢、国生みを教わっていたとしたら、あるいは両方を学ぶ機会があったなら、自分の人生は違うものになっていたかもしれないとふと思います。戦後神話教育が禁じられ、魂を抜かれたことの重大さが初めて身に染みて実感されます。今新たな生活習慣の中に神様が存在している愉しい暮らしが始まり希望を抱きます。神の存在は子供のころから日常にあったとしても、それが毎晩父なる神に祈りをささげ懺悔していたころとは天地の差です。
数年前にある方との関係の中で経験したとても不思議な出来事は、神との出会いであったと想起されます。その方は病気の進行期で苦しくてその晩もいつものように一睡もできないだろうと覚悟していました。しかしその晩は、予想に反して空間は驚くほど平穏で暖かく幸せな空気に包まれて夢見心地でした。彼女は一度も目を覚ますことなく熟睡され、その横で私は自分が今日まで生きてきたこと、今ここに存在していること、父との関係、すべてを支えてくださっている多くの魂、生命の連なりを見、感謝に震え涙が止まりませんでした。そして自分の将来に迷っていた当時、自分のやることが自ずとわかっていきました。まるで自分の中で四方八方に分裂し方向を見失っていた魂が、一つに統一し向かうべき方向を得たかのように体感した瞬間でした。後日彼女に、その一晩の経験がなければ、彼女と出会っていなければ、今の自分はないとお礼を伝えました。彼女は私の話を聞きながら涙を流し、私と会ったときからキラキラしていたと仰った言葉は忘れません。神の働きであったとわかる今、心から感謝が生まれます。神はこうして働いてくださっていることをわかると、これまで偶然や不思議という曖昧な言葉でよくわからなかったことが、本当は最も大切なことであったと目が覚めます。今までとは完全に違う神との関わりを感じます。ありがとうございます。