KEIKO KOMA Webサロン

神事


 コロナ禍の中で万全を期して2021年「新春お餅つき」を開催してくださり、まことにありがとうございました。一瞬一瞬が尊く感動的であり、まさに神事です。今年一年を元気に生き、どのようなことも乗り越えていけます。最高の御善哉、白いコーヒー、御漬物、そして尊い詩書などを誠にありがとうございました。

 今年は洋服で上がらせていただこうと考えておりました京都八坂の「高麗ギャラリーカフェ」でした。子があたりまえのようにフルセットで着物を用意して参りましたので、急遽恒例とさせていただいています「新日本髪」を結って和装で御挨拶にうかがいました。髪結から着付けまですべては「いのり」の気持ちでいっぱいです。いつもと明らかに違う今年のお正月へ向かう11月、12月の講座やコンサートの経験がとても大きく感謝しておりました。
 子が生まれる1ヶ月ほど前にお中の中から「たかまさ」と聞こえてきました。少し問うと「たかま さ」と言うので名は「たかま」と決まりました。いだきしん先生により救っていただきました母子です。習ったわけでもないのに氏名の明暗が見える私は、苗字に合う漢字がなくて困っていました。宝はわりと早く決まったのですが、まが無いです。届け出の7日目ぎりぎりに、そうだ、と、天が決まりました。しばらくすると能楽師の知り合いから電話があり「凄い名前をお付けになりましたなぁ」と興奮して話がはじまりました。ぽかんとする私に「高天原」のことを語ります。31年も前のことになりますが恥ずかしながら知らずに名付けたのです。個人的なことに引きつけてしまうアタマはよくないアタマであり恐縮ですが、いったいどこから聞こえてきたオンだったのかと問うことの多い昨今です。
4歳になる少し前から17年間会うこともほとんどありませんでした。父親のことを案じて警告も多く出しましたが、後に聞く話は驚くことばかりで残念でなりませんでした。
子と再会して11年になろうとしています。いだきしん先生、高麗恵子様のおかげをもって今ではとても仲のよい親子です。27年前から最近まで実に色々なことを言われてきました。今思えばすべては「世間」です。気にしないように努めていた、つまり身の内に抑え込んできたとは最近わかることです。しかし常に、先生よりの「大人になってからの方が付き合う時間は長いのであなたがどう生きているかです」という内容の御言葉を胸に生きてきました。大正解だったと今でもとても感謝申し上げております。
当時1歳の息子が鼻歌まじりで食事を愉しんでいたとき、アフリカで飢餓に瀕している子どもたちの番組が流れており、大人2人は食事が喉を通らなくなったことを忘れられません。同じ地球上に生きていながら、この現実の差が何であるかと全身全霊で考えました。先生、高麗様に世に出ていただくことより答えはないと至ったのですが・・・。
 世界中の人々が健やかに生きていけるように、人間が死に向かう世界ではなく、今生まれた新しき創世を拡げることより生きる意味はないと考えています。

神様からの御祝膳をいただくひととき、小豆のひとつぶひとつぶ皆違うこと、際立つ美を感じ、涙が溢れました。ゆっくり味わいたいとの気持ちもありながら、最初のグループから遅れてしまったら後にご迷惑がかかると考え速やかに頂きました。些細なことですが、こんなひとつの考えがある時のほうが心はとても晴れやかとなります。言葉を発しなくても「全体で生きる」とき、生きるよろこびを深く感じます。


数年前のお正月、どうしても魅かれてやまない「心模様ちりめんブックカバー」を御寄付の御礼に頂きました。私はその時心の中からこれで5億円稼ぐと聞こえました。スケジュール帳のカバーにさせていただきました。聞こえた額の桁が違うのではないかと何度も打ち消し一向に進みませんでしたが、ある時突然飛躍し、今では現実的に考えられるようになりました。自分でもとても驚いており、さまざまなおはたらき、お力添えに感謝はたえず、あのブックカバーのおかげです、と心の中で常に御礼を申し上げております。今年も未来に賭け、おもいきった御寄付と御礼品を頂きました。
それこそどこの馬の骨ともわからぬ出自でありますが、魂の故郷はよくわかっており、此処で生きるほうがうんと愉しいですし、歴史的に生きれる人生が畏多くもあります。

此処から真にはじめるかけがえのない人生です。なんのために生まれたかは心に秘めわかっていますので、これから深め、すべてをあらため、強く美しく生きるのみであります。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

ありがとうございます。

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仙台高麗屋にて
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今日は、お茶会用も焙煎してくださっています。
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東京高麗屋にて