KEIKO KOMA Webサロン

神の鳥


大変素晴らしく感動の極みでありました今日のコンサートについて書き込みさせていただけますことがとても嬉しいです。アンコールでは、深く感動し、これ以上の感動はないと最高でした。今日は初めてひとつも雑念がなく聴くことができました。いつもふとした隙に頭に余計なことが浮かびます。魔が入るとしか考えられない状態ですが、過去にはなかなか解決できませんでした。三鷹でのコンサートにて「魔」についてのメッセージから先生が一身に「魔」を引き受け、祓うのではなく、生命と溶け合い、光と変わるまで戦い続けてくださったので、私の頭の中の魔も光と変わったと感じられる今日のコンサートの経験でした。魔が入らずにずっと先生の演奏をお聴きできることは全ての音、全ての瞬間瞬間は学びであります。いままで意識にも上らずに頭の中に溶け込んでしまった当たり前となってしまった観念や固定された考え方、思いが解けていくのです。先生の演奏を最初から最後まできちんと聴けることは大変楽しいことです。

第一部「自己を超えて」

「自己を超えないとどうにもならないということを感じ、お考えになったことは一度や2度ではないでしょう。そうは言ってもなかなか方法は見つかりません。たくさんの書物を読んでもなかなか正しく理解はできません。理解できたとしても、言語の壁、すなわちこえられない壁が立ちはだかります。止むを得ず、矛先を他者に向け、言語の壁に塞がれているにも関わらず、他者を愚弄し始めることがままあります。こういう方々に社会を任せてはいけません。内面豊かな、今までの自己を少しでも超えたことを即わかることです。できれば言語の壁くらいは超えましょう。」

自己を超えたいです、と心の中で言いながら演奏をお聴きしているうちに、次第に魔を超えてと言葉が置き変わり、心の中で何度も呟きながら魔を超えたい気持ちでお聴きしました。音から見える図形は光と闇が表裏となりまるで一体のようにし、光が動くところ、闇も一緒に寄り添うように動くのです。私の感覚では闇にまとわりつかれるようで、闇が剥がれて欲しいと願いました。私が嫌と感じ、恐れることは、襲いかかるように身に受ける、生命に負担がかかるエネルギーです。光と闇が一体のように動くことの状況を先生はどうされるのかと解決の時を待ちました。先生は光を表現し続けておられます。何があってもどんな時も光を表現し続けておられます。私が必死で答えを考えていると、宇宙語なのか、何語なのかわかりませんが、私には明らかに日本語ではない言語を語るピアノの音が聞こえました。音を翻訳すると、「少し待っていなさい。私がなんとかするから」と、どこかユーモア溢れ、微笑みながらおっしゃる言い回しとなるのです。その言葉に心が落ち着き、楽しく待ちながら演奏をお聴きしていました。ふと気づいたある時、闇は見えなくなり光と変わっていました。言葉の魔法と感じました。本当に魔法をかけられたような心境でした。いつ、どこで闇が消えたのかわからないうちに消えていたのです。その時、私は光注がれる生命となり、無限な働きかけを受けていました。先生が光を表現し続けておられる在り方を見習い私も光を表現していけばいいと考えましたが、光を表せば表すほどに闇はまとわりついてくることに辟易しました。無限に働きかけを受けた時、働きかけを受け生まれる表現をすることで、光の世界を作っていけると見え、胸がひらき、大いなる希望が生まれました。希望ある一部の終演でした。第2部は、「頭が痛くならない本当の愛」です。

「慢性的な頭痛で悩んでいる方や医師から処方された薬を飲んで頭痛に悩んでいらっしゃる人達。ついては少しでもその苦痛から解放していただきたいという気持ちはあっても、決して差別する気持ちはありません。ここでいう本当の愛を日々生きることによって頭痛にとってはこれ以上の薬効のようなものはありません。本当の頭が働いていくということがこれからは自己を超えた時に徐々にであれ、あるいは突然信じられないぐらいの頭脳の働きが起こります。突然起こりうることです。今までにない新たな生き方の重要なポイントのひとつです。真の愛という愛は頭脳にとっては最も必要な活力源です。」

2部も神のような働きに見えても私から見ると悪魔的に見えるものが動き、人間の頭を縛り、はめ込んでいきます。悪魔と言いたくても言ってはいけない暗黙の空気があり、やがて言ってはいけないことは当然ながら思ってもいけない空気となります。頭は神のように振る舞う闇に覆われ、身動きできない状態となっています。羽ばたけない神の鳥が見え、驚き、苦笑し、受け止めました。やがて神の鳥は羽ばたきました。ガルーダが見え、朱と黄金の炎が燃えるように空間を染め、神の鳥ガルーダは自由に羽ばたく本来の働きを取り戻します。そして今日は、インドの神々がたくさん見えました。ちょうど、大切な偉大であるインドの御方がお亡くなりになり、葬儀を開演前にズームにて見させていただきました。インドの若者の未来を案じ、いだき講座を大学の授業に取り入れたらいいとご提案くださった御方です。私はこの話が決まればインドに移住しても良いと考えた程でした。欧米の教育の影響を受け、本当に優秀な若者が育たなくなるインドを懸念し、人間の本来持つ感性、精神性豊かなことが真に優秀な人間となるので、インドの未来を作る優秀な若者を育てる為にいだき講座をとご提案いただき、インドの未来がひらかれれば世界の未来も拓かれると見え、次世代が生きていける環境を作る為なら人生賭ける気持ちが生まれたのです。インドの神、宗教の在り方をそのまま感じる葬儀でしたので、コンサートにてガルーダが現れたのかと考えました。2012年、13年にインドにて世界では初めていだき講座を開催しました。その時、神が力尽きてしまい、先生を招ばれたことをはっきりと見ました。ふといだき講座を大学の授業にとお考えになる程の御方ですので、先生につながる道を作りたく、葬儀のご案内をくださり、今日のコンサートへとつながったように感じました。人間はお亡くなりになってもその御方がどう生きておられたかがよくわかる現象が起こります。インドの神々が現れたことでその御方がインドの未来の為に先生につながることを求めておられると受け止めました。私の思いもありますが、インドはコロナの感染がひどく、大変な困難な状況にあることをいつも案じていましたので、今日のコンサートに神様が現れたのだと考えたのです。インドにていだき講座、「高句麗伝説」を開催した時、先生は世界中の古今東西の宗教が全部ある国とおっしゃっておられましたことが常に心にあります。今日のコンサートでは世界中の神々が現れ、本来の働きを取り戻していく光景が見えました。ずっと光と闇が一体となり動き、神と悪魔が一体となり動く光景が見えていたのですが、最後には神は神の働きそのままが現れたのです。三鷹での「人生を妨げる魔」がメッセージであったコンサートの時にも神と悪魔の元はひとつと見えますが、愛を知らないと悪魔となると感じたのです。愛を知れば皆神とひとつに生きていけるとわかります。真の神とひとつに生きていけるならば、真の愛を生きていけると感じます。私の頭に羽ばたけずにあった神の鳥は羽ばたいていきました。真の神と通じる頭がひらかれました。感動に震えていると、アンコールでも古今東西の神々が自由に羽ばたき、それぞれの働きをしながらも神々は交わり、新しい光、新しい愛が生まれる素晴らしい世界を見ました。感動、感動よりなく、感極まり、終演となりました。素晴らしいコンサートでした。思わず、お見送りをさせていただく時、素晴らしかったですね、と声が出てしまいます。今日の経験は皆様にしていただきたかったと心より感じました。皆、この経験をしたら、愛を生きる人生となると感じます。過去を清算し、人間とし生まれたなら愛を生きていく経験をし、人間となるよりないのです。

インドではいだき講座、先生のピアノコンサート、「高句麗伝説」とフルセットを2年連続開催しました。その後の現象にて、ここで分かれ道となったと考えることが多いのですが、原因を考えることはあっても答えは見つかりませんでした。神と悪魔の分かれ道と今日は見えたのです。愛を生きていくか、愛を無視し生きていくかの分かれ道となったと今日は一つの答えを見つけました。「魔」も悪魔的な世界も先生が引き受け、整理してくださっています。やっと全ての源はひとつであり愛である世界まで到達できたと感じる今日のコンサートに胸の内は涙で一杯です。明日もコンサートがありますことが真にありがたく、感謝で一杯です。ありがとうございます。

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