社会福祉について
先日の京都コンサートに参加し、「なぜか気持ち良かった」が、ドッと疲れが出て、翌日はほとんど寝ていたという双子の姉妹と、社会福祉のことを勉強した。「生活保護」を受け、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は得ていても、具体的に、それで問題はないのだろうか、という点について話し合った。実際の決まりは知らないが、ある程度収入を得たら、支給は打ち切られるから、いろいろ不満や不安はあっても、いまのまま「そっと暮らしていれば」いいのだろうか。また、別の男性で、軽い「発達障害」ではあるが、健全者と変わらず作業所に勤務して、そこ以外は、家でゲームして暮らすことに満足している人がいるが、(かれは全く生きる意欲を持たない、できれば死にたいそうな……)こういう場合は、ただ傍で見ているだけでいいのだろうか、変に働きかけても無駄な行為になるのだろうか。この質問に、双子の姉妹は、「本人が満足しているのだから、そのままでいいのではないか」と答えるが、あまり自信をもっての発言ではない。コンサートに通い、人間の魂が燃え出したら、自立と社会参加の方向へと舵を切るだろうと期待しているが、だれでも、いつからでも「仕切り直し」や「やりなおし」ができる社会が、社会福祉の目的であってほしいものだ。その男性にも、双子の姉妹にも、話しかけ、自分が日々「仕切り直し」の連続であり、これが結構楽しく愉快であることを伝えるばかりであるが……。