破壊の果てに注がれるちから
すごい!と思わず唸ってしまうメッセージ、ここ最近起きたしがみついてきた思考が壊され、ではどうするか…と考えていたことが見透かされたように響きました。
すがた、かたち…いつもと違う方向に座ったせいかとも感じましたが、先生のお体というか軸なのか、何かがいつもと違うように感じました。仕事柄もあってつい目がいってしまうのですが、何か体のラインも透明感も全然違うようにお見受けしました。
演奏は枠が壊され、宇宙空間を遊泳しているようでした。何もないところに注がれる光とも水とも感じられる流れは体中に溶け込み、細胞の一つ一つが輝くように全体とひとつの体感でした。何もなくすべてがある満ちる高揚感に感謝が溢れました。
高揚する心と音の高まりが呼応し、先生のコンサートは全体とひとつと改めて深く感じました。固定観念を外すという言葉がありますが、外すなんてものでは生ぬるい圧倒的な破壊力をもってやってくるこの空間のちからに、いのちのちから与えてくれたこの意思が神のはたらきでなくて何なのだろうかと感じてなりません。破壊のあとは余分なものなく、よどみなく、タイミングが隙なく一致する流れ、不思議な感覚と明瞭な言葉、これが私なのだろうかと感じることもしばしばです。押し流される流れには逆らえないように前に進むより答えはないと感じる今です。
死についてに向かう分単位のスケジュール、タイトながらピタッとはまるタイミングにあれこれ考えるよりトライしてみるよりないと感じて向かう今です。新しい時代の胎動、答えは今ここにある未来。仙台コンサートをありがとうございました。