KEIKO KOMA Webサロン

真の香り


連日のコンサートの経験があり大変晴れやかな府中3日目のコンサートを迎えました。今日も素晴らしい、魂が動いてならないメッセージに、要の時と生命染みわかります。

「国常立尊」

「国の土台がどんどん崩れ落ちています。新型コロナ感染症により、以前からわかっていたことですが、明らかになりました。土台が崩れるようなかなりおかしなことが露呈しました。露呈したとはいえ根本的に変えていこうとする「ちから」はなかなか見うけられません。天地開闢の時にあらわれた国常立尊。国常立尊の「常」は「土台」とか「永遠」という意味です。国の土台を見直し、天地開闢以来の源流からの「ちからを得て、国の土台を創り、一人一人の生きていく生活の土台を創り、仕事をする土台をしっかり見直す必要があります。命の土台、身体の人間生命の土台を胎児期から見直し、尊い人間生命を生きて、新たな土台づくりをと願います。」

随分前のヤマハホールにて「国常立尊」というタイトルのコンサートがございました。第一音を聴いた時から、生命の内ではよく知っている神でした。幼い頃からの謎が紐解け、おおいなる喜びを感じました。家には大きな木が立っていました。風が吹くと、大きな男の人が現れます。いつも共に在る存在でした。苦しい時、それこそ、枕元に大きな男の人の存在があらわれ、生命守られてきました。熊本の阿蘇のふもとでも現れました。その時の演奏をお聴きし、国創りの神とわかりました。高句麗建国の時には共に在った神と受け止めました。いつも共に在ってくださる神と考えていましたので、あの時と同じに生命の内で反応すると予想していたのが大きな間違いでした。今日あらわれた国常立尊は、土台そのものとし現れました。まさしく国土と表現する存在でした。そしてその国土は永遠でした。国土は生命ある存在をそのまま受け容れ、支え、生命のはたらき、輝きをそのまま活かしてくれる土台でした。生命のはたらきもわからず、生命を犠牲にする土台などある訳がなく、現在は土台が崩れているとはそのまま見えてわかりました。土台は神のはたらきそのものであり、天とも通じています。今まで知っていた国常立尊で考えると、全体がとられられずに、気持ちが焦りました。が、全体そのものの存在を捉えようとすること自体が狂っているとはすぐに気づき、演奏からあらわる存在、はたらきをそのまま受け止めていくことだけに努めました。ふと、この尊いお働きは先生のようだと感じる瞬間、先生はあらゆる存在、神々、魂もひとつになり、即興演奏されますので、国常立尊をそのまま表せることのお働き、その凄さに畏れ入り、時間がとまり、在る「今」に身震いします。そうして私たちは国常立尊にお会いでき、そのお働きを知ることができるのです。永遠なる国土となる土台が作られ、これから真の人間とし生きていける時代が拓かれました。

第2部「言葉は命 生命は言葉」

「言葉は一音一音が命を顕します。言葉の「ちから」を軽んじて頭脳の一部に蓄えた言葉を使うことで尊い命を犠牲にしていることが多いです。普段話している言葉と命そのものから聞こえるようにしてある言葉との乖離があります。この乖離をどのようにして解決いたしましょう。本音と立前どころではありません。命の言葉。命は言葉。演奏の中でどうぞ尊いご自身のことです。皆様の一助になれば何よりも幸甚です。」

生命は言葉。言葉は命。という言葉の重みを受け止めます。「生命は言葉」であるのです。第一部と同様に演奏をそのまま受け止めることに努めました。第一部の時から自分の内からあらわるおかしさに苦しんでいたのです。今日の演奏から見えた国常立尊は日本の秘密が紐解かれていく予感がありました。秘密を知ることは怖いと感じる感覚があり、見ないようにし気を逸らそうとすることがおかしなことと自覚し始めました。その意識なのか、癖なのか、先生の演奏をそのまま聴けずに、頭が他のことにもっていかれるように、演奏中に意味もなく他のことが頭にうかび、囚われていくことは悪魔的とはよくわかっています。今日は、些細なことですが、ほんの少しの汚れを気にし続けていました。実際についている汚れです。なぜ、そんなことに囚われいくのかわからず、よっぽど頭がおかしいのかと不安になる程でした。先生のコンサートという要の時にあらわれたので、解決の時と考えました。このおかしい感覚はと辿ると同時に、見えたものがありました。小学校の終わり頃、今日から運命が変わると見えた瞬間があります。闇に覆われた瞬間を音まで聞こえてわかったのです。よくできていた色々なことがやれなくなっていき、幸運であった人生は不運となったと自分では感じていました。今日の経験により、この状態は何なのかと考えると、「乖離」という言葉になりました。メッセージの中に、「普段話している言葉と命そのものから聞こえるようにしてある言葉との乖離があります」が心に浮かびました。先生は命の言葉が聞こえわかる御方です。私たちの生命の言葉を即興演奏により表現していただきながら、自分たちがわからないでいることはよっぽどおかしいことであると自覚しました。何かに切断されたかのように、乖離している状態は自覚しています。私の経験では闇に襲われ、覆われたということがやっと解かれたのです。長い間の苦悩からやっと解放される喜び、安堵に包まれました。演奏をお聴きしている時、生命は喜び、幸せに包まれながら、胸の一部では闇が巣喰い、憂鬱となっていくのです。明らかにおかしいとは歴然としてわかります。全体から見えばほんの一部の闇なのに、どんなに幸せな光包まれる状態よりも心を占めていくのです。そのおかしい原因が解かれて、やっとあらわる神と一体となれました。2部のピアノの演奏からは、音が言葉になり、ある物語を綴っているような経験となり、最高に楽しかったです。私には、北朝鮮の山々が見えました。のどかな大地に澄んだ空気、秀峰の連なりに神の降臨を見ました。大地には神が宿り、まさしく土台となっています。高句麗最後の都があった地です。今は、拉致はじめ、あり得ない悲しいことが起こっている地となり、いつも胸が痛んでいました。この地のことはあまり話したくなかったです。が、今日の音から見えた地は五女山や丸都山城がある中国ではなく、北朝鮮でした。国土は日本とつながっていました。日本の国創りの神話の秘密と古代のアジアのつながりの秘密が解き明かされていく香りがしました。

最後のアンコールのピアノ演奏は愛の音でした。胸揺さぶられ、感動よりありません。日本とアジア、ペルシャまでつながる道の秘密が明かされていく時を感じ、奈良の正倉院で見たペルシャの器が心に浮かび、大和の地で見る歴史の遺産の秘密が解ける香りを感じます。母が亡くなり、悲しみのどん底にあった私に先生がご提案してくださった「もうひとつのシルクロードを辿る」の真の道が見えてくる兆しの香りに包まれ、歴史のロマンを感じました。美しく深い愛の音に「生きている」と生命全てで感じ、感謝で一杯です。ありがとうございます。

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