真の人間が生きる世界
第一部「恋」
「恋」は、世俗化された意味での恋ではありません。
欲望の興奮でも、孤独の埋めあわせでも、
承認の交換でもありません。
そのようなものまで恋の名で呼ぶとしたら、
私達はすでに、「恋」そのものを見失っているのです。
「恋」は、ある他者によって、自分の存在の虚偽が破られます。
生きているつもりでいた。わかっているつもりでいた。
愛しているつもりでいた。
しかし、その人が目の前にいることによって、
その「つもり」が根底から通用しなくなる。
自分が、本当にはしっかり生きていなかったことを、知らされます。
「恋」とは、その人を手に入れたいと願うことではありません。
その人の前で、誤魔化した自分のままでは
いられなくなるということです。だから「恋」は、人を酔わせません。
むしろ、自分の浅さ、弱さ、混濁、未成熟を、容赦なく露わにします。
それは刺激ではなく、目覚めです。
満足ではなく、変容のはじまりです。
そして、そのような「恋」だけが、人を浅く壊すのではなく、
深いところから、人へと立ち帰らせるのです。
第二部「『恋』はつづきます」
「恋」とは、
ある他者によって、
自分の眠っていたものが静かに目を覚ますこと。
人を酔わせるのではなく、
人をほんとうにしてゆくもの。
それが「恋」です。
木々の緑が輝き、瑞々しい生命エネルギー溢れる美しい季節に京都にてコンサートを開催させていただくことが嬉しく、ありがたい気持ちで山々の木々を見ながら山を降り、御所の木々にも心洗われ、高麗屋に行きました。スタッフとアイスコーヒーと差し入れの蓬餅をいただき、とっても美味しくて清涼感あふれる体感が気持ちよく、窓から見える御所の木々が風に揺れる光景も気持ちよく、良いスタートが切れました。オープン30分前に男性が入ってきて、「関西テレビの円広志です」おっしゃいました。恥ずかしながら知らなかったので、首を傾げているうちにテレビカメラや数人の男性が入ってくる中を、円さんと話していました。世界平和を実現したく仕事をしていると話した時から、それはそれは驚き、私の容貌にも驚き、嘘ではないかと何度も言うほど驚いていました。活動履歴もお見せし、新刊の本もちょうどありと全てはタイミングよくお話ができました。最後はその場で即興詩を詠ませていただきました。拝みたくなるとおっしゃいました。面白い出会いでした。またアメリカ在住の韓国人もお越しになり、ハングル語版の「出会い」の詩集をご購入くださいました。今日のコンサートをお勧めさせていただき、ご参加くださいました。高麗屋は面白い出会いが起こる場です。皆様の内面の光景からも変わり時ということがよくわかりました。それが故にコンサートがあることが物凄いこととわかります。大いなる働きかけにより導かれたとわかり深く感謝します。
コンサートメッセージは、「恋」です。生命全てで合点が行きます。タイトルも内容も、今日の日にはこのメッセージよりないと深く頷きました。内容を読ませていただいてもよくわかり、演奏によりメッセージを経験できます事がありがたく聴かせていただきました。「虚偽が破られます」との表現がございましたが、演奏をお聴きしていると虚偽と見えるものが壊れていく様が見えました。また、外側に作られものや枠、自分ですらも壊れ去り、素のままが現れます。作り物は全て余計なものなのだと受け止めるよりない程に、壊れていくのです。外側の覆いが取れたら真の自分が現れてきます。真を隠したり、覆っているものは作り物であると明らかに見える図形が見えます。壊れるにつれ、体は軽くなり、すっきりとしてくるのです。やはり余計なものであると体でもわかります。聴いたこともない美しいピアノの音は真の世界であり素のままに生きている世界でありました。世俗とは別世界であり別次元でありましたが、この美しい世界が、真の自分を活かして生きられる世界であります。作り作られた自分が生きる世俗も壊れ去ると見えました。闇やごみのように感じるものが祓われ、心身洗われ、浄められ、厚い皮が捲られたような体感となりました。皮膚が柔らかいことが平和を作ると受け止めていましたので、こんなに厚い皮のような皮膚であれば平和な世界は作れなかったと感じます。
第2部のメッセージも「「恋」は続きます」です。昨日の応用コースでもお話いただきましたので、今日のメッセージはそのままよくわかっていける事が嬉しいです。一部のメッセージの冒頭に「世俗化された意味での恋ではありません」と書かれてありましたので、より理解できました。自分が捉えてきたこととは全く違うとわかりました。先生に初めてお会いした時、いただきましたお返事のお手紙に「恋をして人を好きになり自分を知る」と書かれてあったことに強い衝撃を受けたことはずっとあり続けています。言葉の音を教えていただきました時にも「恋」は「こ」が「生きる」と教えていただき自分の中で合点がいったのです。今日のピアノの音も私には光が見え、「個が生きる」と自然と言葉が生まれます。全体も光であり、全体と一つである個が光り輝いています。多次元が一つに融合し、芯が強く、他と比較できない美しいピアノの音でした。
アンコールは大好きなアリラン的な演奏でした。昨夜、しみじみ考えましたことは古い生き方を続けては地球上で邪魔なだけになると感じ、自分では当たり前になり身についた生き方でも、自然の生命の働きに逆らう生き方はやめなくては今後はないと考え、やめると決めたのでした。アンコールの美しい演奏をお聴きし、私は自己中心でありますので、このあり方をやめようと心にしました。意識でやることは続かないことはよくわかっていますが、自己中心で生きることをやめるように努めていきます。生命の法則に則り生きていけば自然とそうなると感じています。
コンサート後に見た月はとても透明感溢れ、綺麗でした。心洗われます。今日もかけがいのないコンサートをありがとうございます。
