目に見えないもの
解体が進み、新たに生成する力、エネルギーが増していることが現実に身の内や身を置くコミュニティに起こっていると感じた昨日でした。いだきしん先生のコンサート中に九州にいた「良き関係性にある仕事仲間」にコンサート空間が伝播していたと思われるほど、その人と同時に複数の人々に良い変化が起こっていました。ずっと進展が難しかったある事業を検討する場で、その場にいた皆さんの気持ちが一つになったようなのです。本来は企画提案者の私もそこにいなければいけなかったのですが、「仕事仲間」に企画案を代理で表現してもらうなど様々に手を打ち、府中に身を運べましたので、結果が気になっていました。案件の成否よりも実に見事にバラバラだった人々の気持ちが一つになっていった原因を知ることに心惹かれました。
かつてコンサート会場に行けない時は全国各地の現場にいることが多くて、コンサート時間になると現地の人との交流が急速に深まり、関係性がみるみるよく成っていく経験を幾度も経験してきました。会場の一席に座れなくても自分の身体が通信体となって受信し、先生のピアノ演奏によって創造される場が伝播してきていると捉えてきました。これは当初は「自分なりの解釈」と考えていましたが、その後も何度も何度も経験を重ねてきた事実で、もし科学的に、と言う話になれば、先生のピアノの即興演奏で創造される場のエネルギーが伝播した量子力学的な事例になるのではと今は考えます。
いだきを伝えるという大テーマを受講生になってから常に考え、かなり大胆な行動もしてきましたが、逆効果を生む結果が多かったので、どう解決していくかを随分考え続けました。10年ほど前にふっと自分の内に仮説が生まれ、自分の資質を封じ込めることなく、資質を活かせる方向で、それまでもやっていたフィールドワークをさらに様々な地域へ広げていきました。中山間地、離島、地方都市、大都会、特に特徴のない地域・・・、フィールドワークのテーマは地域の活性化でした。その頃、「存在論」に解決へ向かう何かがあると感じ、通い続けました。
昨夜のコンサートは頭も身体もグラグラしながら変化していました。一昨日のコンサートメッセージで「愛」をあらわせない故に、すべてに否定的になってしまう瞬間に、それでも「愛」が了解できたら、愛の内で生きられるとのメッセージに希望を見出しました。だからこそ昨夜のことを偶然として葬り去ることなくきちんとわかっていこうと考えます。コンサート後に九州の状況報告を受けて整理したことではありますが、この10年来、いだきを伝えることは自らが「行う」こと、王陽明の唱えた「知行合一」でしかできないのではないかと模索してきました。年末頃から量子力学や先生独自の科学的な実証精神を詳しくお聞きしたことで、自分では曖昧になってしまう「目に見えないこと」への正しい理解を地道に積み重ねて整理してきたと見えました。
「愛」が成立する以前に「愛」を実現するいのちとして生成していることが要、と昨夜は教えていただき、動くことで物事をわかっていく基本を、より深く理解できました。いつも貴重な経験をありがとうございます。