盛岡にて
盛岡に着きました。予想したほどに寒さも厳しくなく、さわやかな風が迎えてくれました。夜空には一際輝く星がご挨拶をしてくださいました。空の向こうが見えるような広い澄んだ美しい夜空です。今月も来ることができ、うれしいです。今日も深大寺に寄ってから東北道を北上しました。一週間前は真っ赤に染まる紅葉が最高に美しい頃でしたが、今日は多くは散っていました。晩秋から冬へと変わったことを告げていました。昔から変わらない雰囲気に自然と亡き父を想います。
昨夜は偶然見たテレビにはよく知る街並みや馴染んだ表情の方々が映っていました。悲しいことに2年近くも毎日ニュースで見てきたウクライナの街並みや家並みはよく知る土地となり、身近にお会いするウクライナ人から次第に馴染んできたウクライナ人の表情、気質となりました。8歳の女の子が映っていました。街を離れ避難するバスに乗り込んでいます。が、お母さんと妹は避難せずにここに残ると語り一人でバスに乗ったのです。悲しい瞳が心に焼き付いてしまい、その後も見入ってしまいました。戦争は人を引き裂いていくと語っていましたが、現代の世でこのようなことが起こり、悲しい人生を余儀なくされることにいいようのない悲しみを感じました。ガザでも男の子が「おとうさんが死んじゃった」と泣き叫んでいました。こんなことは一刻も早く終わらせなければいけないと、心の底から強い気持ちが生まれます。先日のコンサートメッセージにて先生がきっぱりと宣言してくださいましたので、私はその宣言と共に在れる自分でいたいと決めました。以前のように嘆き悲しみ、落ち込むことはやめました。それは闇の勢力に加担することと痛くわかっています。私にとって、愛なき人を変え、愛なき世界を変え、皆が生命豊かに輝き生きていける世界を作ることが愛するということとコンサートで経験させていただきました。コンサートの経験のままに生きていきます。そして必ず平和な世界を実現できる人間となり、動いていく気概にあふれています。六日の三鷹でのコンサートにて、限界の壁がとれました。自分でブレーキをかけてきたことも自覚しています。これからは思い切り真の自分を活かし、世界を変え、平和を実現していくおおいなる希望、力が生まれます。
ウラジオストクからのメールでは北部の気温はマイナス15度とマイナス25度と書かれていました。初めてウラジオストクに行った時、よりにもより一番寒い2月でした。暗く侘しく寂しい街とホテルの前に見える港を見、先祖は高句麗滅亡後にここに逃げてきたのかと想いを馳せると、悲しみと侘しさ、寂しさで胸がいっぱいになりました。亡命とは命を亡くすと書きますが、国を亡くすことは生命亡くすに等しいほどのこととは私も生まれつきの運命となり身に宿り生きてきましたので、生命沁みわかります。戦争により暮らしを奪われることなどあってはならないことです。今日は、あの時見たウラジオストクの寒く暗い街と海が心に浮かびました。ウラジオストクでは高句麗の遺跡を博物館にてみつけることができました。先祖の足跡にふれ、ここに来させていただける機会がありましたことに心から感謝しました。今は地に埋もれた魂も蘇っています。やっと再会でき、共に良い世界を作っていく為に動いていけるのです。望んでやまない時が訪れました。先生がおられる今だからこそ、魂は蘇ることができるのです。この時を逃してはならないのは人間だけではなく、連なる魂も地に埋もれる魂も海に沈む魂も全ての魂もです。先生のコンサートに身を置いていただけますようにはたらくことが魂の代表で先生に出会い、運命解放され、真の自分を活かし、生きていける私たちの行うことです。次は仙台でのコンサートです。
ありがとうございます。