男女の愛とは?
ドストエフスキーの『白痴』を、やっと読了!4回目にして、亀山郁夫さんの訳で、文庫本4冊。登下校の車中で、2か月くらいかかって。そして、茫然としている。その膨大な言葉と人間喜劇と悲劇に。さらに、ムイシキン公爵の両義的なあり方に。とりあえず、どうしても今書き留めておきたいことは、かれの愛は、神の愛とイコールなのか、ということ。先日の存在論で、伺った、「男女の愛」こそ原点、愛そのもということと、どう整合するのか。勿論、それが「性愛」だけをいうのではないと理解しているが、ムイシキン公爵は、ナスターシャとアグラーヤという二人の美女を同時に愛して、「結婚は意味をなさない!」と公言し、結局は二人の女性を破滅させてしまうのだから。そして、当の本人も、また元の「白痴」に戻って、終焉を迎えるのだから。ドストエフスキーの言いたいことが分からなくなってしまう。簡単に理解できないながら、いろいろな問題提起を残しているから名作なのだろうが、「聖なる愚者」でいいはずがなかろう。だれでも、美しい人(男女を問わず)を、正直に愛し、それを伝え、結局、世の中を混乱させるだけだとしたら、倫理的に間違いということになるだろうか。
(混乱している頭で申し訳ないが、「読書メモ」の走り書きとして,ご指導を)