生起
昨日の仙台コンサートとメッセージでこれまで魂について考えていたことが一気に繋がり、紐解けていきました。同時にこれまで疑問に感じていた様々なことが次々と浮かび、その都度、先生のこれまでの多くのメッセージを読み直しました。仙台での仕事を終え、今日の昼過ぎに仙台から盛岡に向かう高速バスの窓から見える輝く光景や内面に閃くことをノートに生まれるままに書いていたらさらに見えて来ました。
「死について」がはじまって二人目の質問者に答えられる いだきしん先生のお話をお聞きしていてもう質問するしか無くなりました。魂が自分の肉体の中でグッと身近なものとなり、肉体の中でのありかも感じることになり、「あ・い・う・え・お」の「う」の音のことが最近ずっと気になっていましたので、お聞きするしかもうわかることはないと手を上げました。さらに人間の魂がいつどのように生まれたのかが知りたくなりました。
昔々の大昔、大きな木が倒れる寸前に一枚の大きな葉っぱから一滴の滴が落ちんとするその瞬間に一条の光がさし、大地に落ちた。その一滴の滴が人類の生命の源ということをお聞きしたことも昨夜、そして今日のバスの車内にて自分の中に再現されていました。この光景は最初にお聞きした時から不思議と映像のように見えます。
先生が「人間とは」を探求され、答えを出されたことでコンサートと講座、講演会があることが自明のことではなく真に有難いことと実感するのです。様々な人類が次々と滅び、ホモサピエンスだけが生き残ったとはいえ、そのホモサピエンスも滅びの時が迫る今、自分にとっても人間のことをよく理解することが急務です。いつも尊い経験の場をありがとうございます。